2020.11.16

ベンゲルが振り返る自らのサッカー人生。
「他のすべてを犠牲にした」

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】
アーセン・ベンゲルに聞く(1)

 フットボールの監督であることと、ひとりの人間であること。そのバランスを、アーセン・ベンゲルはうまく取っていたのだろうか。

「まったくダメだったね」と、ベンゲルは笑う。「私が送ったような生活は誰にも勧められない。いったいどんな人間だったんだと思うことがある。ひとつのことにのめり込んで、他のすべてを犠牲にしていたから。まったく普通じゃなかった。バランスなんて、これっぽっちも取れていない生活だった」

 71歳のベンゲルは、重ねた本の上にノートパソコンをうまく置くという技を習得できていない。そのため彼のトレードマークのわし鼻が、Zoom(ズーム)の画面から僕を見下ろしているようになる。

 ベンゲルは2018年に、それまで22年間務めたアーセナルの監督を退いて以降、沈黙を守っていた。だが今、彼は再び語りはじめている。10月半ばに出版されたベンゲルの新しい自伝『マイ・ライフ・イン・レッド・アンド・ホワイト(赤と白に包まれた私の人生)』は、アルザス地方の村ダットレンハイムで過ごした幼少期から、アーセナル退団に至るまでの彼の軌跡をつぶさに教えてくれる。それはフットボールとマネージメントについて考え続けた人生だった。

1995年から1996年9月まで名古屋グランパスを率いたアーセン・ベンゲル photo by Colorsport Images/AFLO ダットレンハイムはベンゲルという人間をつくった。ベンゲル家がダットレンハイムに引っ越したのは、この村がフランスに返還されて間もない頃だった。ヒトラーがこの村のあるアルザス地方を1940年に併合し、ダットレンハイムの男たちはドイツ軍に徴用された。ベンゲルの自伝は戦争の話にほとんど触れていないが、僕が尋ねると彼は口を開いた。

「私の父はドイツ軍のためにロシア戦線で戦った。母によれば、父は帰ってきた時に体重が42キロしかなかった。生死の境をさまよったのだろう。父は何カ月も入院した」

 3人兄弟の末っ子であるベンゲルに、戦争の記憶はどんな影響を与えたのだろう。