サッカー界にもある「永久欠番」。語り継がれるレジェンドたちの偉業
永久欠番と聞けば、おそらく日本のスポーツファンはプロ野球界の習慣を想起する人が多いと思われるが、サッカー界にも以前から永久欠番は存在する。
国内では、横浜F・マリノスが2011年8月4日に他界した、元日本代表DF松田直樹(当時は松本山雅所属)がつけていた背番号「3」を永久欠番としたことが有名だ。
14番を好んでつけたクライフ(写真左)と10番を背負って大活躍したマラドーナ(同右) 海外に目を向けると、その例は意外と多く存在する。なかでも有名なのが、ヨハン・クライフの「14」番と、ディエゴ・アルマンド・マラドーナの「10」番だろう。
オランダを代表する名手クライフの「14」番を永久欠番としたのは、同国の名門アヤックス。クライフが1964年にプロデビューを飾り、73年にバルセロナに移籍するまでの10シーズンと、キャリア晩年の81年から2シーズンにわたってプレーしたクラブだ。
その間、クライフは計8度のリーグ優勝に貢献したほか、ヨーロッパのクラブ王者を決めるチャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ)でも1970-71シーズンから3連覇の偉業を達成。個人としても71年にバロンドールを受賞(バルセロナ時代の73、74年にも受賞)するなど、まさにクライフの名前が世界に知れ渡った時期にあたる。
当時はまだ背番号が固定されていなかった時代だったが、クライフはアヤックスでもオランダ代表でも、自ら好んで「14」番を着用。以降、その背番号は"クライフナンバー"として世界的に知られるようになった。
そして現役引退後の07年4月、アヤックスはクライフが60歳の誕生日を迎えるにあたり、その功績を称えて背番号「14」を永久欠番とすると発表した。16年3月24日に68歳で他界する9年前のことだった。
マラドーナの「10」番を永久欠番にしているのは、イタリアのナポリだ。地元アルゼンチンのアルヘティノス・ジュニアーズ時代に15歳でプロデビューを飾ったマラドーナにとっては、キャリアの全盛期とも言える時期にプレーした最愛のクラブである。
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