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語り継がれる中田英寿の伝説。あの日セリエAでイタリア人の度肝を抜いた (2ページ目)

  • パオロ・フォルコリン●文 text by Paolo Forcolin
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 ガウッチという人物は、とにかく周囲の目を引くのが大好きな人物だ。10チーム以上が中田を欲しがるなか、日本人を勝ち取った。もちろんこの移籍はガウッチだけでなく、中田側の意向もあっただろう。

 突然ビッグチームでチャレンジするより、まずはセリエAの末席のチームでイタリアに慣れるほうがいい。中田のその後の活躍を見ると、この選択は賢明だったと思う。

 ちなみにガウッチは、中田以降もサプライズにはこと欠かなかった。セリエAの初の中国人選手、馬明宇を獲得したのもガウッチだし、すぐにそれが間違いとわかると、代わりに誰も名前の知らないようなトリニダード・トバゴのシルビオ・スパンを連れてきた。

 リビアのカダフィ大佐の息子サーディを連れてきたのも彼だし、イランからラフマン・レザイーを最初に獲得したのも彼だった。またサッカーではないが、1200万リラで買った競走馬を凱旋門賞に優勝させ、のちに70億リラという値段で売った。馬の名前はトニービンという。

 私生活でも破天荒で34歳差の息子の彼女を奪い、1億ユーロの負債を抱えて破産し、脱税の疑いで起訴されると、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴに逃亡。今年の2月、81歳で客死した。

 ハッタリの多い人生だったが、中田に関しては正しかった。「中田の獲得は賭けではない。確信だった」とガウッチは常々言っていた。

 ただガウッチが日本人の中田英寿を獲得したと発表した時、それを心から歓迎したペルージャサポーターは、正直多くはなかった。イタリアメディアに向かっては、彼は中田のことをチャンピオン選手だと紹介した。たしかに、彼は2度ほどアジア最優秀選手に輝いている。まあ、それなら多少は見せてくれるのだろう。我々はそう思ったものだ。

 しかし、現実は"多少"などというものではなかった。その日、雨のそぼ降るレナト・クーリで誰もが自分の目を疑った。彼はただのいい選手じゃない。本当にチャンピオンじゃないか!

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