語り継がれる中田英寿の伝説。あの日セリエAでイタリア人の度肝を抜いた

  • パオロ・フォルコリン●文 text by Paolo Forcolin
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

中田英寿を上回る天才のリーガ挑戦>>

22年前の今日、1998年9月13日。ワールドカップ初出場に沸いた日本サッカーから、ひとりの若者がイタリアへ渡り、デビュー戦を迎えた。相手は並みいるスターを揃えたユベントス。ところがこの日本人は、そんな王者相手にいきなり大活躍を見せたのである。見る者に衝撃と興奮を与えた、中田英寿のセリエAデビュー戦を振り返る。

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 中世の面持ちを残す、中部イタリアの古い町ペルージャ。外国人大学があることから、人口16万人にしては普段から国際的な色彩を帯びているが、それにしてもこの日のペルージャは異様だった。

1998年9月13日。衝撃のセリエAデビューを飾った中田英寿 photo by Getty Images1998年9月13日。衝撃のセリエAデビューを飾った中田英寿 photo by Getty Images 町のいたるところに日本人、日本人、日本人。その数はスタジアムに向かうほどに増えていった。それもそのはず。この日――1998年9月13日、日本のエースである中田英寿がセリエAデビューを果たすのだ。

 ペルージャはあいにくの雨だったが、ホームスタジアム、レナト・クーリはほぼ満席だった。ユベントス番の私も、もちろんその場にいたが、そこはペルージャというよりは東京のようだった。

 記者席には何十人もの日本人記者が陣取り、観客席には百人単位の日本人、スタンドには日本語の横断幕がかかげられている。彼らの多くは中田のデビュー戦を見に、わざわざ飛行機に乗り、電車やバスを乗り継いで、この中部イタリアの小都市まで来ていた。

 日本での中田人気と、日本人の期待の大きさが改めて感じられた。この日ばかりはアレッサンドロ・デル・ピエロもジネディーヌ・ジダンも主役ではなかった。選手が入場してくると、カメラマンたちはまるで蜜に集まる蜂のように、みんなが中田の周りに群がった。

 ペルージャの会長ルチアーノ・ガウッチが、日本人の中田英寿の獲得を発表したのは、それより少し前の7月のことだった。ちょうどその年の夏にフランスW杯があり、初出場した日本を牽引した選手として、中田はヨーロッパでも注目を浴びていた。

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