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かつてシメオネとグアルディオラが激突。
アトレティコ本拠地の数奇な歴史 (4ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 五輪招致に失敗したマドリード市側の提案だったのか、ビセンテ・カルデロンが老朽化したアトレティコ側の提案だったのか、詳しい経緯は知らないが、その後、両者の思惑が一致。マドリード五輪競技場はメトロポリターノへ軌道修正されることになった。

 それは、陸上トラック付きの総合競技場から、サッカー専用競技場への変更をも意味していた。このコンセプト変更は、普通なら簡単ではない工事になる。しかしこのスタジアムは、先述のとおり、正面スタンド以外すべて芝生席で、その部分を簡単に均すことができる状態にあった。正面スタンドしか造らなかった最初の計画が、奏功した格好だ。

 一方、丸いお盆を半分に割ったような半円状の正面スタンドは、現在のスタジアムの1階席としてそのまま活用されている。ピカピカの新築スタジアムに見えるが、実は20数年前に完成したスタジアムの改築版なのだ。「スクラップアンドビルト型」ではないところに価値を感じる。

 1階席約2万人、2階席約1万3000人、3階席約3万人。VIP席(2階席と3階席の間)約7000人。スタンドは三層式で、収容人員は6万8456人を数える。

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