伊藤達哉、欧州で早4年。ドリブル練習は
注意されても「やめなかった」 (2ページ目)
――あらためて、高校を卒業してすぐにドイツ行きを決めた理由を聞かせてもらえますか?
「中学生の時から、練習を終えて家に帰って、深夜に海外のサッカーを見るたびに『海外でやりたい』と思っていました。Jリーグも、レイソルの試合をスタジアムで見ていましたが、さまざまな選手がインタビューの時に『若い頃から海外に行っておけばよかった』とコメントするのを聞いて、その思いが大きくなっていきました。なので、18歳になったタイミングでハンブルグ(ハンブルガーSV)が僕を『欲しい』と言ってくれた時は、何の迷いもなかったです」
高校卒業後、Jリーグではなく海外に活躍の場を求めた photo by Sakuma Hidemi――ドイツの環境にはすぐ慣れましたか?
「1年目の最初の8カ月くらいは膝のケガの影響でサッカーができず、これまででもっともきつい時期でしたね。その時は割り切って語学を習得することに気持ちを切り替えて、毎日6時間のマンツーマンレッスンでドイツ語の勉強をしていました。
ケガが治った頃には、ある程度コミュニケーションが取れるようになっていたので、あまりストレスを感じることなくプレーできましたね。入団当初から、ハンブルグのトップチームにいた酒井高徳選手(現ヴィッセル神戸)がサポートしてくれたことも、すごく大きかったです」
――今シーズンはベルギー1部リーグでプレーしていますが、ドイツとベルギーにどのような違いを感じていますか?
「ハンブルクは、2017-18シーズンは1部で残留争いをし、2部に降格して迎えた翌シーズンは1年での昇格を目指していたこともあって、常に大きなプレッシャーを感じていました。1部と2部では、スポンサーがクラブに出すお金の額が大きく変わってくるので、降格したらチームの経営が大変なことになる。ハンブルクでプレーしていたこともあるでしょうが、ドイツでは1試合も落とさないよう、若手よりもベテランやフィジカルが強い選手を使うチームが多かったように感じます。
一方のベルギーは、2部に降格するのがリーグ最下位の1チームだけ(ブンデスリーガは下位2チームが自動降格)なこともあってか、その試合に絶対勝つというよりは、若手の選手を積極的に起用したり、自分たちがやりたいサッカーを試してみたり、という傾向が強いように思います」
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