貧困、暴力、腐敗...。ブラジルのサッカーが示しているもの (2ページ目)
やがてブラジルでは、「フチボウ・フォルサ(力のフットボール)」か「フチボウ・アルチ(芸術のフットボール)」かという議論が起きていく。ブラジル代表にもっと必要なのは、力なのか芸術性なのか。
軍事政権やセレソンの首脳陣は力と規律を大切にしてきたが、ファンはたいてい芸術性を重んじた。この点がもっと大きな国民的議論につながった。ブラジルは組織力にたけた国と競うべきか、それとも国の発展につながる創造性あふれる道が見えているのか。
この議論が最も盛り上がったのは、1982年のワールドカップでブラジルがイタリアに「美しい敗北」を喫したときだ。ブラジルでは人々が通りで泣き崩れ、帰国した代表チームは英雄として迎えられた。82年のワールドカップで敗れたチームのほうが、94年に優勝した地味なチームより好きだというブラジル人は、それほど珍しくない。
「国のスタイルはどうあるべきか」という議論をしっかり解説しているのが、フェルナンド・ドアルテの著書『ショッキング・ブラジル──ワールドカップを揺るがした6つのゲーム(Shocking Brazil: Six Games that Shook the World Cup)』だ。ロンドンに住むブラジル人ジャーナリストのドアルテは、ほとんど例のないことをなし遂げた。ワールドカップに関するブラジルの興奮の歴史を、ブラジル人でありながら英語でつづったのだ。
「美しいゲーム」という言葉は、ブラジルの肉感的な美しさを表すのに使われてきた。しかし1970年以降、ブラジルのフットボールはどちらかといえば、ブラジルの「醜さ」を示すことが多くなっていった。
たとえば、この国の貧困層への対応だ。老朽化したスタジアムにファンが押し寄せ、選手たちは果てしなく続くシーズンのせいで労働過多に陥っている(FCサンパウロは、1日に2試合をこなしたこともある)。ブラジルのフットボール選手のほとんどは今、定められた最低賃金をもらっているだけだ(賃金をもらっていればの話だが)。
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