貧困、暴力、腐敗...。ブラジルのサッカーが示しているもの

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】サッカー王国の真実(後編)

W杯直前合宿中のブラジル代表、ネイマール(photo by Getty Images)W杯直前合宿中のブラジル代表、ネイマール(photo by Getty Images) 1970年、「ビューティフル・チーム」がブラジルに3度目のワールドカップをもたらした。ブラジル黄金期のなかでも最高の瞬間で、いわばアメリカにとっての月面着陸にも匹敵する出来事だった。軍事政権はセレソン(ブラジル代表)をとことん利用しようとした。国民の読み書きの能力が低く、国家のアイデンティティーを築くような戦争も近代には経験していない国で、独裁者たちは国をまとめ上げるためにフットボールを必要とした。

『ゴラゾ!──ラテンアメリカ・フットボールの歴史』の著者アンドレアス・カンポマルは、同様のことがラテンアメリカ全域で起こったと論じている。フットボールは、スペイン語を話す新興国が互いの違いを確認したり、ヨーロッパから尊敬を得るのに大きな役割を果たした。

 フットボールはラテンアメリカが世界をリードすることができる領域だった。少なくとも1994年まではそうだった。ブラジル前大統領のルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバが今年のワールドカップ開催に懸命だった理由はよくわかる。ブラジルが国の規模に見合うだけの地位を国際的に得られるのは、フットボールだけだからだ。イギリス人ジャーナリストのアレックス・ベロスが書いているように「イギリスは20世紀を世界大戦に区切られた年月で把握している」が、ブラジルはワールドカップを区切りにして考える。

 ブラジルは1994年と2002年にワールドカップを制したが、1970年に優勝したときのような栄光に浴することはなかった。事実、現在のブラジル代表は1970年の記憶を相手にしてプレイしている。セレソンの仕事はふたつある。ひとつはワールドカップを獲得すること、もうひとつはワールドカップを獲得するために「ジョゴ・ボニート(美しいゲーム)」を見せることだ。ブラジルがこれを達成するのは今大会もほとんど無理だろう。

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