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スキャンダルとベルルスコーニがイタリアサッカーにもたらしたもの (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 アニエリから見たカルチョポリは、イタリア・フットボール界の組織的な不正のなかでユベントスがスケープゴートにされた事件だ。ユベントスは2004~05年と2005~06年のリーグタイトルをはく奪され、セリエBに降格させられた。

 1年後、ユベントスはセリエAに昇格を果たす。「あの復活劇のおかげで、私たちのブランドはさらに強固なものになった」と、アニエリは言う。「あの出来事は、われわれがいかに強く、イタリアのフットボールを率いるのにふさわしいかを、あらためて周囲に宣言する機会になった」 

 しかしカルチョポリはイタリアのフットボールを汚し、クラブ間の疑心を強め、次の「カルチョスコメッセ」スキャンダルにつながっていく。カルチョスコメッセでは、20を超えるクラブが不正を働いたとして処罰された(ユベントスは含まれていない)。ユベントスの現監督アントニオ・コンテは昨年、シエナの監督時代に選手の不正を知りながら報告しなかったとして4ヵ月の資格停止処分を受けた。昨年夏にユベントスは、アーセナルのストライカー、ロビン・ファン・ペルシーの獲得に動いたが、誰かが彼の代理人にカルチョスコメッセ・スキャンダルの根深さを伝えると、ファン・ペルシーはマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を決めた。

 こんな状況の中で、アニエリはユベントスを率いている。美しきイタリアのゲームは、もう消えうせた。イタリアの多くのものと同じく、凋落の原因の少なくとも一部をつくったのはシルビオ・ベルルスコーニだ。

 ベルルスコーニが首相を務めた間に、イタリアはこんな国になった──ベルルスコーニの支持者とベルルスコーニに不満を持つ人々が、ベルルスコーニのチームであるACミランがベルルスコーニの政府から補助金を受けているチームを破る試合を、ベルルスコーニの経営する有料チャンネルで見て、そのハイライトをベルルスコーニの経営する無料チャンネルで見る国......。ひとつだけベルルスコーニがやらなかったのは、スタジアムを安全にする法律をつくることだった。

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