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佐々木則夫が衝撃を受けた明治大サッカー部の寮生活 「普通のヤツとは違う」木村和司が起こした伝説の"事件" (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・構成 text by Masaki Asada

 そのうえ、当時の明治大サッカー部の寮は、佐々木が「日本一だと有名でした」と嘆くほどに古く、汚かった。

「よく(他大学の学生が)試合に来るじゃないですか。そのとき、寮を見るわけですよ。そうすると、『えっ? おまえ、あの寮にいるの?』って、みんなによく言われていましたから」

 薪で焚く風呂は、およそ半世紀前の当時でさえ、すでに前時代の代物だった。

「あの頃、1年生が風呂を沸かす担当だったんですけど、家を解体する業者が近くにあったらしくて、当時はそれほど予算もないし、お金がかからなくていいっていうので、そこから(廃材を薪として)もらっていたんです」

 寮に住む当の本人たちも、はじめはあまりの汚さに閉口していたが、「慣れってのは恐ろしいですね。本当に慣れですよ」と佐々木。日に日に嫌悪は薄れていった。

「あの寮を経験したら、どこの寮でもよく見えるんで。そういう意味ではよかったです(笑)。将来、もっといいところに住むんだということを目標にもできましたしね」

 そんな伝説的な寮で"事件"は起きた。

「まだ(自分たちの代が)1年のときか、2年のときか......、いや、あれ1年だったと思うな、確か。和司が酔っぱらって帰ってきてね。しかも、門限を破って。もう時効だと思うから話しますけど」

 そう切り出し、佐々木が述懐する。

「当時、オフの日には1年生が寮を大掃除していたんです。先輩たちが出かけて、門限までに帰ってくるので、1年生はそれまでに時間を決めて、床とかを清掃するわけですよ。

 ところが、和司は掃除もしないで出かけて、しかも、酔っぱらって門限を破って堂々と帰ってきた。1年生が、ですよ? 相当でしょ?」

 その結果、学年全体で連帯責任をとらされることになり、佐々木ら1年生部員は夜中に正座をさせられたという。

「ふざけんなよ!」

 もちろん、誰もが木村に文句を言った。

 しかし、「和司はそれだけ豪傑だったんですよ」と佐々木。「先輩に対しても、どうとも思っていないような感じで」、今でいう"タメ口"を使う一方、「でも、後輩には優しかったんじゃないかな」という一面も持っていた。

「それもまた、普通のヤツとは違って、木村和司のよさなんじゃないですか。何事にも動じない、ああいう精神は僕もほしいな、と。それはありますね(笑)」

(文中敬称略/つづく)

木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。

佐々木則夫(ささき・のりお)
1958年5月24日生まれ。山形県出身。帝京高、明治大を経て、大学卒業後に電電公社に入社。大宮アルディージャの前身となる電電関東(のちにNTT関東)でプレー。現役引退後、1996年からNTT関東(のちに大宮)の監督を務めた。2006年からなでしこジャパンのコーチ、U-17女子代表監督に就任。2007年からU-20女子代表の監督となり、翌年からはなでしこジャパンを指揮。2011年女子W杯では日本を世界の頂点に導いた。その後、2012年ロンドン五輪でも銀メダル、2015年女子W杯でも準優勝という成績を収めた。現在は日本サッカー協会女子ナショナルチームダイレクターを務めている。

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