"丸の内御三家"を敵視していた読売クラブが唯一認めていた日産 その中心にいた木村和司の「ちゃんとした実力」 (2ページ目)
「(木村がプロになった頃)もうこっちは(試合のメンバーから)外れるようになって、引退も考えてたけど、そのときの和司は、中心の中心だったからね。だから、やっぱりうらやましかったし、よく頑張ってんなって思ってた。年取って多少キレが落ちても、戦術眼とか、持ってる技術っていうのは落ちないから」
木村が持っている技術とは、具体的にどんなものだったのか。
川勝は、「和司は、ボールをちゃんと蹴れるというか、本当に正確に狙ったところに落とせる」と言い、こう続ける。
「正確にボールを蹴れるかっていうと、みんな蹴れますよって言うけど、高速のなかでとか、密集のなかからとか、そういうシチュエーションでも、ピンポイントに落とせるかどうか。最近の選手でも、ドリブルもキックもできますよって言うけど、それはどの設定で言ってるんだってこと。弱いヤツが相手ならいくらでもできるから。
和司は、ちょっと(レベルが)上ぐらいの相手とやっても、何も変わんない。そういうタイプだった。だから、ユース(年代別日本代表)から代表(A代表)に上がっても、常に中心でやってた。周りがいろいろ変わったり、サッカーが多少変わっても、そういう影響を受けなかった。オレなんかは、それで外れたり、落ちてった典型だからわかるけど、アイツはちゃんとした実力を持ってたよ」
ただし、川勝は木村が持っていた「ちゃんとした実力」が、単に才能によるものだけではないことも承知している。
「もともと技術があるのもそうだけど、やっぱりもう本当にサッカーが好きで、長い時間グラウンドにいて、ボールを蹴ってられる。オレなんかは、そこまで好きじゃないから、(全体練習が)終わったら、すぐ帰りたい(苦笑)。和司はなんかそういう......、単純にボールを蹴ってる時間が好きなのかな。やらされるっていうより、自分で何かを見つけて、それを磨くのが好き、みたいな」
自分も木村と同じようにやれればよかったのだろう。だがしかし、それが簡単でなかったこともまた、理解している。
「だから、もっとみんな、和司みたいにやる気出しゃいいじゃんっていうことなんだけど、それも能力だから。努力は強要したって続かないですよ」
(文中敬称略/つづく)
木村和司(きむら・かずし)
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高→明治大を経て、1981年にJSL(日本サッカーリーグ)の日産自動車(横浜F・マリノスの前身)入り。チームの主軸として数々のタイトル獲得に貢献した。その間、日本代表でも「10番」を背負って活躍。1985年のメキシコW杯予選における韓国戦で決めたFKは今なお"伝説"として語り継がれている。横浜マリノスの一員としてJリーグでもプレー。1994年シーズンをもって現役を引退した。引退後は解説者、指導者として奔走。日本フットサル代表(2001年)、横浜F・マリノス(2010年~2011年)の指揮官も務めた。国際Aマッチ出場54試合26得点。
川勝良一(かわかつ・りょういち)
1958年4月5日生まれ。京都府出身。京都商業高(現京都先端科学大附高)を経て、法政大に入学。卓越したテクニックを誇り、大学在学時に日本代表に選出された。大学卒業後、1981年にJSLの東芝(北海道コンサドーレ札幌の前身)入り。1983年に読売クラブに移籍。その後、京都紫光クラブ(京都サンガF.C.の前身)、東京ガス(FC東京の前身)でプレーし、1991年シーズンに現役を引退した。引退後は指導者として活躍。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸、アビスパ福岡、京都などで手腕を発揮した。国際Aマッチ出場13試合。
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