【Jリーグ】元日本代表MFが語る「人生の師」オシムとの思い出「初日から挨拶を拒否。あの時はちょっとざわついた」 (4ページ目)
【当時は負ける気がしなかった】
── 開幕前は不安もあったというなかで、実際にシーズンが始まると手応えは生まれてきたのでしょうか。
「開幕2連勝したんですけど、3節で神戸に負けたんですね。3節までは前年からよく試合に出ていたメンバー、どちらかというと年齢の高い選手たちがスタメンでした。でも、4節のガンバ戦の時にスタジアムに着いてメンバー表を見たら、それまでサブだった僕と羽生(直剛)さんが先発だったんです。
その試合は引き分けに終わったんですが、ふたりともゴールを決めたんです。そこから僕も羽生さんもスタメンに定着していきました。オシムさんは最初の3試合で、いろんなことを示したんだと思います」
── 示す、というと?
「最初の3試合は今までやってきたメンバーを試合に出して、『ほら、うまくいかないだろ』ということを示したんです。『だから俺は変えるぞ』と。その示す期間を3節までにやったのかなと思っています。
のちにオシムさんの本をいろいろと読ませていただいたんですが、オシムさんは(1990年の)ワールドカップでもそれをやっているんですよね。当時、ユーゴスラビアの監督としてワールドカップに出た時、初戦の西ドイツ戦でメディアが求める選手を起用して、結局負けたんです。それで記者会見で『君らが言ったメンバーを使ったぞ。でも、結果はどうだ?』って。
それで次の試合から、自身が選んだメンバーを起用してグループリーグを突破したんです。結果がすべてのあの舞台でも、そんな大胆なことをしてしまうのは驚きですが、同じことをジェフでもやったんじゃないかって、のちにそう思いましたね」
── その年、残留争いの常連だったジェフが、オシムさんの下で優勝争いを繰り広げます。チームが勝ち続けるなかで、選手たちのメンタリティも変わってくるものですか。
「あの当時は、本当に負ける気がしなかったです。でも、そのメンタリティも僕らが作ったというよりも、やっぱりオシムさんが導いてくれたものだと思います。
まず一番は、トレーニングの強度ですよね。どのチームよりもトレーニングをしているという自負はありましたし、それは試合をしているなかでも感じていました。
後半になると、相手の動きは落ちてくるんですが、僕らはまだまだ元気だし、もっと走れる。たとえ前半がうまくいかなくても、『後半になれば逆転できる』という感覚もありました。なにより、考えて走るサッカーに自信がありましたから、そういうチームはやっぱり強いですよ」
(文中敬称略/つづく)
◆佐藤勇人・中編>>涙目のオシム「胴上げしようとしたら、めちゃくちゃキレられた」
【profile】
佐藤勇人(さとう・ゆうと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。ジェフユナイテッド市原(現・千葉)のジュニアユース、ユースを経て2000年にトップチーム昇格。イビチャ・オシム監督のもとでチームの黄金期を支え、2005年と2006年のナビスコカップ連覇に貢献。2006年に日本代表デビューを果たす。2008年に京都サンガF.C.へ移籍するも、2010年に「愛するクラブをJ1へ戻す」決意で千葉へ復帰。2019年に現役引退。現在はジェフユナイテッド千葉のクラブユナイテッドオフィサーを務める。国際Aマッチ1試合0得点。ポジション=MF。身長170cm。
著者プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。
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