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【Jリーグ】フロンターレの華麗なパスワークは「川崎の太陽」ジュニーニョの存在なしに生まれなかった

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第27回】ジュニーニョ
(川崎フロンターレ、鹿島アントラーズ)

 Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。

 第27回はジュニーニョを取り上げる。川崎フロンターレの歴史を語るうえで、このブラジル人ストライカーを脇に置くことはできない。自身の在籍時に3大タイトルを獲得することはできなかったが、「川崎の太陽」と呼ばれた男はフロンターレを強豪へ押し上げたのである。

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ジュニーニョ/1977年9月15日生まれ、ブラジル・サルヴァドール出身 photo by AFLOジュニーニョ/1977年9月15日生まれ、ブラジル・サルヴァドール出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 日本でプレーする外国人選手のなかには、来日後にプレースタイルが変わっていく選手がいる。それまでと違うポジションで起用されることで、触れられていなかった才能が目覚めるケースだ。

 ジュニーニョもそのひとりである。ブラジルでは攻撃的MFを任されることが多かったが、フロンターレでは3-5-2の2トップで起用された。これが、彼のキャリアを大きく転換させる。

 フロンターレにはアウグストや長橋昭弘などのクロッサーがいて、今野章や茂原岳人のようなラストパスの担い手もいた。中村憲剛も2003年に加入している。さらには我那覇和樹のような本格派のストライカーもいた。持ち前のスピードをフルに引き出せるチームメイトが揃っていたのである。

 翌2004年にはマルクスがやってきた。アルビレックス新潟で2年連続J2リーグ得点王に輝いた同胞の加入で、前線はさらにパワーアップした。我那覇を加えたトライアングルは、J2では紛れもなく規格外だった。

 2004年に記録したシーズン104得点は、今なおJ2史上最多である。ジュニーニョは37得点、我那覇は22得点、マルクスは18得点を挙げている。3人で77得点(!)だ。25年以上を数えるJ2の歴史でも、最強のアタッカー陣と言っていいだろう。

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著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

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