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【Jリーグ連載】ジェフ千葉の「10番」横山暁之が振り返る苦難の時代「大学卒業後はフリーターでした」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki

――その間は、北陸大学のセカンドチームに所属していたという情報もあります。

横山 ウィキペディアにそう書いてあるんですけど、どこにも所属していませんでした。

――だとすると、もう完全に......。

横山 フリーターです。大学の寮もさすがに申し訳なくなって、夏ぐらいには出て、ひとり暮らしをしていました。

――1年間、プレーしていなかったのですか。

横山 いや、大学卒業直前の3月にケガから復帰したあと、4月にはツエーゲン金沢(当時J2)の練習に参加させてもらいました。

――どのくらいの期間、練習参加したのですか。

横山 最初は2日間とか、3日間とかの予定だったんですけど、興味を持ってくれたみたいで、「週末まで来てほしい」となって、週末までやったら「もうちょっと見てみたいから、あと1カ月来てほしい」という感じになりましたね。

――それでも、金沢と契約するまでには至らなかったんですか。

横山 そのタイミングで、またヒザをケガしてしまったんです。結局、ツエーゲンには入れず、またリハビリ生活になりました。ちょっと無理をしていたんですよね、「これはチャンスだ!」みたいな感じで。「千載一遇のチャンスだから、足が痛くてもやるしかねえ」と思ってやっていたんですけどね......。

――大学4年の時のケガがぶり返した。

横山 そうです。それが治ったのが9月くらいで、そこからはまた、練習参加の日々が続いたのもあって、どこかのチームに所属しようとは考えませんでした。心のどこかで、「チームに所属してしまうと練習参加に行きづらいな」っていう気持ちもあったので、「もうフリーターでいいや」みたいな。なので、9、10月の2カ月くらいは、北陸大学の練習にまぜてもらっていましたが、それ以外はどこにも所属せず、フリーでやっていました。

 ただその頃は、結果的にツエーゲンには入れなかったんですけど、(興味を持ってもらえたことで)ちょっと自信がついていたところは確かにあったかもしれないです。

(つづく)◆藤枝MYFC入りした横山暁之の転機>>

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