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【Jリーグ】セザール・サンパイオはボランチの概念を変えた 伝説の「天皇杯優勝」は相棒・山口素弘との集大成 (2ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【日本で点を取ることに目覚めた】

 1995年の来日当時は、27歳だった。1987年のワールドユースに後年Jリーグでプレーするアルシンドやビスマルクとともに出場し、1990年にブラジル代表に初招集されている。1993年と1995年のコパ・アメリカでは、ダブルボランチの「第1ボランチ」が着ける背番号「5」を背負った。

 フリューゲルスでのサンパイオは、第2ボランチの「8」を着けることが多かった。ブラジルでは「5」よりも、ゲームメイクなどへの関わりが強い番号である。「5」は日本代表で主軸を担うキャプテン山口素弘の番号だから、消去法的に「8」になったのかもしれない。

 それはともかく、フリューゲルスで「8」を着けることで、5番タイプだったサンパイオは8番の性格を少しずつ持っていくのである。

 加入1年目の1995年は32試合出場でノーゴールだったが、1996年は27試合出場で5ゴールを記録した。1997年は29試合で6ゴールをマークしている。勤勉にして効率的であり、「中盤のエンジンルーム」などと評された男は、極東に誕生したプロリーグでそれまで自覚していなかった才能──点を取ることに目覚めていったのだった。

 1998年シーズンを最後に日本から離れ、古巣のパルメイラスに復帰したサンパイオと、1999年秋にブラジルで会うことができた。リベルタドーレスカップを制して同年12月のトヨタカップで来日する彼に、首都サンパウロのホテルで話を聞いた。

 リベルタドーレスカップの戦いやパルメイラスについての話題が尽きると、会話は日本での思い出へ向かっていく。

 プレースタイルの変化について聞くと、「自分ではそこまで意識していなかったなあ」と話した。「もし僕が日本で攻撃的な資質を見せることができたのだとしたら、それは僕のとなりにいた選手のおかげだよ」

 サンパイオのとなりにいた選手──ダブルボランチを形成した山口である。このふたりの機能性と補完性は、Jリーグ30数年の歴史でも群を抜くと言って差し支えない。

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