【Jリーグ】セザール・サンパイオはボランチの概念を変えた 伝説の「天皇杯優勝」は相棒・山口素弘との集大成
Jリーグ懐かしの助っ人外国人選手たち
【第22回】セザール・サンパイオ
(横浜フリューゲルス、柏レイソル、サンフレッチェ広島)
Jリーグ30数年の歩みは、「助っ人外国人」の歴史でもある。ある者はプロフェッショナリズムの伝道者として、ある者はタイトル獲得のキーマンとして、またある者は観衆を魅了するアーティストとして、Jリーグの競技力向上とサッカー文化の浸透に寄与した。Jリーグの歴史に刻印された外国人選手を、1993年の開幕当時から取材を続けている戸塚啓氏が紹介する。
第22回はセザール・サンパイオを取り上げる。このブラジル人ボランチは1995年の横浜フリューゲルス加入をスタートに、柏レイソルとサンフレッチェ広島のユニフォームにも袖を通した。3チームでJ1、J2合わせて200試合近くの出場を数えた。Jリーグ黎明期を代表する優良助っ人として、とりわけフリューゲルスで印象的な仕事をした。
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セザール・サンパイオ/1968年3月31日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る ボランチという言葉が一般的に広がったのは、Jリーグ開幕2年目の1994年だったと記憶する。ブラジル人のパウロ・ロベルト・ファルカンが日本代表監督に就任し、日本代表選手から「ボランチ」という言葉が聞かれるようになった。
ポルトガル語でハンドルを意味する「ボランチ」は、それまでサッカーメディアで主流だった守備的MFと微妙にニュアンスが異なるものだった。では「何が違うのか?」というと、1995年に来日したサンパイオが体現してくれたのである。
Jリーグ開幕前の守備的MFがもたらすイメージは、ディフェンスの局面でハードワークする、相手から奪ったボールを確実に味方につなぐ──というものである。攻撃面での貢献はそこまで求められず、DFラインの前でワイパーのような働きをする。「縁の下の力持ち」などといった表現もよく使われた。
ところが、サンパイオは違ったのだ。
ひと言で言えば、できることが多いのだ。ブラジル人のボランチだから、ボールを奪い取る力は確かなもので、そのうえで、奪ったボールを味方につなぐことも、自分で動かすこともできた。
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著者プロフィール
戸塚 啓 (とつか・けい)
スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専
門誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より 7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグ ワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本 サッカー』(小学館)









