太田宏介が選ぶJリーグ歴代レフティトップ10「あのテクニックはお化け」「人生を変えてくれた」左利き選手たち (2ページ目)
【対戦してすごく嫌だった】
7位 中田浩二(元鹿島アントラーズほか)
中田浩二さんはやっぱり高校サッカー選手権決勝の帝京対東福岡のイメージがすごく強いですね。あの選手権は1回戦からずっと見ていました。あの頃は、今よりももっと高校サッカーがテレビや雑誌に取り上げられていて、本当に大会のスターでしたよね。
身体能力で勝負する選手ではないですけど、いろんな監督に重宝されてきたのは、監督の要求をしっかりと忠実にこなす献身性や安定感があったからでしょう。ボールを持てば落ち着くし、空中戦でも戦える。
3バックの左、4バックの中央、サイドバック、ボランチもできる。あれだけユーティリティな左利きの選手は多くないと思います。対戦相手としても浩二さんがボールを持った時の対角のフィードは、すごく嫌でした。
6位 柏木陽介(元サンフレッチェ広島、浦和レッズ、FC岐阜)
陽介は若い頃からプライベートでもすごく仲がよいひとりです。Jリーグは、トップ下やボランチで、左利きで攻撃に参加するパサータイプがあまりいない。例えばヴィッセル神戸の扇原貴宏はアンカーの位置に構えて、パスを散らすタイプですよね。
浦和時代に、チームの中心にいる陽介がパッと顔を上げた時に、興梠慎三くんが入ってくる動きや、裏へ抜けてくる関根貴大がめちゃくちゃ嫌でした。
何回もやられたし、わかっていても止められない。独特の間を持っているんですよね。フィジカル的に恵まれているわけではなかったですけど、それを補う運動量とパスセンスがあった。対戦してすごく嫌だったので、一緒にプレーしたかったですね。
5位 中村俊輔(元横浜F・マリノス、ジュビロ磐田ほか)
このあとの人たちには僕なりのストーリーがあるので、俊さんが5位という形になりました。やはり俊さんの左足は本当に怖かったです。セットプレーの精度、ボールの球種、カーブの軌道、スピード。同じ人間であるはずなのに、持っているスペックが違いすぎて、マネしようにもできませんでしたね。
たぶん、僕の努力は俊さんと比べたらこれっぽっちにもならないんだろうなと思います。あそこまで左足を磨きあげるには相当な努力が必要だったと思うので、技術だけではなくてそうしたところも含めて本当にすごい人でした。
俊さんのフリーキックで一番印象に残っているのは、日本代表の2003年のコンフェデレーションズカップ、フランス戦で決めたゴールですね。あの頃のフランスはものすごいメンバーで、GKはファビアン・バルテズでした。
右隅に決まったゴールでしたが、最初「そっちいくんだ!」みたいに感じました。すごく落差もあって、バルテズの頭上から大きく曲がって落ちたあの軌道は、今でも鮮明に覚えていますね。
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