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乾貴士の野洲高校サッカー部時代の噂は本当だった「1日7時間練習してました」 (3ページ目)

  • 鈴木智之●取材・文 text by Suzuki Tomoyuki

【ひとりで練習する時間が好きだった】

 ひとりで練習をするのは性に合っていた。乾は「その時間が好きだった」と懐かしそうに話す。

「その時間、俺だけがうまくなっていると思えたんですよね。それに、なんでかわからないんですけど、これをやらな気が済まんみたいに思ってて」

 他の選手が帰った後、グラウンドに残って練習する。その時間こそが、乾にとって特別な時間だった。周りが休んでいる時に練習することで、差をつけられる。そう信じていた。

「なんかそう思っていましたね。でも、みんなと残ってワイワイしてる時もありましたよ。自主練する人もいっぱいいたから、その人らと一緒にやったり」

 そんな乾の高校生活は、サッカー一色だった。

「ほんまにサッカー以外、何かをした思い出がないんです」

 彼女はいた。同じ中学の子で、高校2年の時に付き合い始めた。しかし、あくまで生活の中心はサッカー、サッカー、サッカーだった。

「高校の時に練習を休んだ記憶がほとんどなくて。一日だけ。覚えてるのは一日だけですね」

 練習を休んだのは学校で粗相をし、「部活に出るな!」と言われた時だけ。しかし運がいいことに、その日は雨で練習も軽いメニューだった。

「雨で大した練習できんかったからよかったんですけど(笑)。その日だけ休んだような気がします。みんなで遊びに行った記憶もほんまになくて。野洲駅の(学校とは)反対側に、100円でたこ焼きが食べられるところがあって、そこに行ったのは覚えてますけど、それぐらいですね」

 ケガもした。韓国遠征でFCソウルのトップチームと対戦した時、削られて足首を痛めた。しかしすぐにランニングを始め、直後に控えていた国体の全国大会に出場した。

 極めつけのエピソードがある。高校2年の時、選手権の滋賀県大会決勝で勝ち、悲願の全国大会出場の切符を手に入れた直後のことだ。

 優勝に喜ぶチームメイトを横目に、決勝戦終了後、乾は野洲高のグラウンドにいた。

「優勝はしたけど、自分のプレーに納得がいかなくて。このままじゃあかんと思って、ひとりで練習しに行きましたね」

 このマインドが"永遠のサッカー小僧"である、乾貴士の真骨頂だ。

「俺ってチャラチャラしてるというか、適当な感じに見られがちなんです。だから『高校時代は練習ばかりしていた』と言うと、意外って言われるんですけど、ほんまにそんな感じでした。中学時代はそこまでやっていなかったんですけど、野洲高時代のチームメイトは、俺のイメージというと『練習ばかりしているやつ』だと思います」

 全国大会出場が決まっても、満足できない。もっとうまくなりたい。その想いが、乾を突き動かしていた。高校3年生になると、周囲の期待に応えるためにという想いが加わり、自主練は熱を帯びていった。

 ひとりで、黙々と、ひたすらに――。その孤独な戦いが、のちの乾貴士を形作ることになる。

>>後編「乾貴士が語る高校サッカー部のよさ」につづく

乾貴士(いぬい・たかし)
1988年6月2日生まれ。滋賀県近江八幡市出身。野洲高校では2年時に全国高校サッカー選手権大会優勝を経験。卒業後、横浜F・マリノスに入団。セレッソ大阪を経て2011年に欧州へ。ボーフム、フランクフルト(以上ドイツ)、エイバル、ベティス、アラベス(以上スペイン)でプレーし、2021年にC大阪へ戻る。2022年からは清水エスパルスでプレーしている。日本代表では2018年ロシアW杯に出場し活躍。

【写真】高校サッカー選手権 歴代応援マネージャー

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