「キャプテン中のキャプテン」ジェフ千葉の鈴木大輔が今なお「青春ど真ん中!」的なノリを持ち続けるわけ (5ページ目)
といっても、最初の2年間はほとんど試合には絡めなかったんですけど。でも2010年に、その黒崎さんが新潟の監督に就任されたのを機に初めてメンバー入りができ、2011年以降は先発で使ってもらえるようになった。"ヘディング"という武器を持てたこともすごく自信になりました。
ただ......よくよく考えると、プロの世界にはヘディングが強いセンターバックなんてウジャウジャいますからね。厳密には、プロのレベルで戦えるくらいのレベルに持っていけたという程度だったんじゃないかな(笑)。
そう思うと、その時に本当に身につけた武器って"ヘディング"以上に、どんな時も腐らず、不貞腐れず、精一杯でやり続けるメンタリティだったのかもしれない。それがあったから、黒崎さんにも使ってもらえたはずだし、以降のキャリアでもうまくいかない時にどうするのか、という答えがいつも自分の軸に備わっていた。
そして、そのうまくいかない時や自分が底にある状態の時に、開き直って前に進もうとするメンタリティが......僕はそれをこの世界を生き抜くすごく大事な武器だと考えているんですけど、それがあるから今もキャリアが続いているのかもしれない」
実際、そうして過ごした"最初のターニングポイント"を足がかりに、鈴木は一気にキャリアを駆け上っていく。2011年以降は新潟でもレギュラーに定着すると、2012年にはロンドン五輪を戦うU-23日本代表にも選出。6試合に先発出場して4位にたどり着いたことはもちろん、オーバーエイジ枠で選出された吉田麻也とセンターバックでコンビを組んだ経験は、のちにつながる"海外"への思いを加速させた。
「当時の日本人センターバックで、海外でプレーしている選手は(吉田)麻也くんくらいでしたから。その基準を肌で知れたのもよかったし、ひたすら『絶対に海外に行け。日本人センターバックの価値を上げていかないと、日本はこの先強くなれないぞ』みたいな話をしてもらったのも刺激でしかなかったです。
以前から僕はUEFAチャンピオンズリーグへの出場を目標にしていたんですけど、正直、そこへの道筋はあまり描いていなかったんです。でもロンドン五輪を経験して、自分のなかではっきりと『できるだけ早く、海外に行く』と決めました」
(つづく)◆35歳・鈴木大輔が振り返るサッカー人生のターニングポイント>>
鈴木大輔(すずき・だいすけ)
1990年1月29日生まれ。東京都出身。星稜高卒業後、2008年にアルビレックス新潟入り。プロ入り4年目にレギュラー定着を果たし、2012年にはU-23日本代表に選出されてロンドン五輪に出場。4強入りに貢献した。2013年、柏レイソルに完全移籍。2016年にはスペイン2部のヒムナスティック・タラゴナに移籍した。2018年に柏へ復帰し、2019年に浦和レッズへ完全移籍。その後、2021年からジェフユナイテッド千葉でプレー。チームのJ1昇格へ日々奮闘している。
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