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「キャプテン中のキャプテン」ジェフ千葉の鈴木大輔が今なお「青春ど真ん中!」的なノリを持ち続けるわけ (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 取材冒頭から熱のこもった言葉が続いたが、そんな彼のパーソナリティを知りたくて、キャリアを遡って尋ねてみる。2008年に新潟でプロキャリアをスタートして、18年目。「こんなに長く続いているとは思わなかった」と振り返るキャリアがなぜ今も続いているのかを含めて、だ。

 鈴木によれば、最初のターニングポイントは「試合にまったく絡めなかった新潟でのプロ1〜3年目」にあるという。

「星稜高校在学中の2007年から新潟の特別指定選手に登録されていたのもあって、試合に出られるもんだと思って加入したら、もう全然ダメで。先輩選手との実力の差は明らかだったし、パフォーマンスがプロのレベルに及んでいないことも自覚していました。

 でも、その時になんとか自分を変えたい、変えなきゃ話にならないと思って黙々と自分と向き合ったんです。とにかく練習しかないと、自主トレもしまくったし、知識がないながらもひたすら筋トレにも取り組んだ。これは、そもそもの『愚痴を言う暇があったら体を動かそう!』って性格が幸いしたのかもしれません」

 実際、当時のチームメイトで、鈴木の1年後、2009年に新潟でプロキャリアをスタートし、寮生活もともにした東口順昭(ガンバ大阪)が当時の鈴木の姿に想いを馳せる。

「とにかく、めちゃめちゃ芯が通っているというのかな。試合に出ても出られなくても、思うようにいかないことがあっても、決してネガティブなことは言わず、ひたすら練習していたし、なんなら寮で夜ご飯を食べたあとも必ずジムで筋トレをしていました。

 先輩、後輩の分け隔てなく誰とでも話ができて、責任感もあって、人間的にも信頼できた。大輔のほうが(年齢的には)後輩やのに、その姿から教えられることも多くて、彼とプロキャリアのスタートを一緒に過ごせて、ほんまによかったです」

 鈴木によれば、その"コミュニケーション力"も試合に出られない時間を通してコーチングスタッフや先輩選手と積極的に言葉を交わすことで育まれたのだという。

「高校を卒業したばかりで、目に入るもの、出会う人がすべて新鮮に思える時期に、大袈裟な言い方ながら"人格を上げていく"ための時間をたくさん過ごすことができた。今でも、その時のいろんな人との出会いや言葉は自分にとって大きな財産です」

 そのひとりが、当時新潟で指導していた黒崎久志コーチだ。黒崎コーチに繰り返し言われた「ひとつ武器を作れ」というアドバイスは、キャリアの突破口にもなった。

「僕は学生時代からヘディングを得意としていたのもあって、黒崎さんにはいつも『ヘディングをしっかり磨いて得点を取れるようになれ』『勝負どころで違いを見せられる選手になるんだ』と言ってもらっていました。その言葉を信じて、居残り練習でも黒崎さんにひたすらボールを蹴ってもらってヘディングの練習をしたし、競り勝つ方法やヘディングのコツみたいなところを教わって、磨きまくっていました。

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