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意外にもサッカーの試合をよく見ている家長昭博「変な個性がある選手が好き。最近なら、鹿島の鈴木優磨くん」 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 そのなかで戦った第41節の大分戦は、今も彼が記憶に残している試合のひとつだ。勝てば自力でJ2優勝を決められるホーム最終戦。後半立ち上がりに2失点を喫した大宮だったが、69分、81分とムルジャがゴールを挙げて土壇場で同点に。さらに猛攻を仕掛けるなかで、87分には再びムルジャの突破が相手のファウルを誘い、PKを獲得する。

 キッカーは家長。緊張が漂う場面に、笑みさえ浮かべながらボールをセットすると、鋭くゴール左上を射抜き、勝利を引き寄せた。

「過去の記憶は薄いのに、あのゴールは印象に残っています。といっても、自分のプレーがどうこうではなく、チームにとって正念場の試合、大事な瞬間に代表してPKを任せてもらえたのがありがたかった」

 そういえば、当時の主軸のひとりで、この一戦はケガのためスタンドから見守っていた横谷繁(現ガンバ大阪ユースコーチ)は、のちにこのシーンについて「PKを獲得した瞬間、サポーターも含めたスタジアム全体が自然と『アキやろ』みたいな空気になっていた」と振り返っている。

 その言葉はある意味、"大宮・家長昭博"としての存在感を示すもの。事実、この年、チームで2番目の11得点を挙げてJ1昇格の立役者になった家長は、翌年のJ1リーグでも自身のキャリアハイとなる11得点を挙げるなどして存在感を際立たせていく。その時間は彼に「自分の生き方」を明確にさせた。

「自分がJ1で初めてフル稼働した2014年には力及ばず大宮をJ2に降格させてしまい、自分もそのチームに残って昇格を目指して戦って、2016年のJ1ではクラブ史上最高順位となる5位でシーズンを終えられた、と。その結果はいうまでもなく、チームが細かなことを積み上げていった成果ですが、僕もその一員として、初めて自分の行動に責任をとれたという感覚を得られた。

 それによって、この先サッカーで生きていくには『自分がどう生きていきたいか』という思いに従って行動するのが一番だということも明確になった。そのせいか、以来、周りからの見られ方とか、どう思われるかということも何ひとつ気にならなくなったんです。

 それまでは少なからず、周りからの見られ方みたいなものを気にしていた自分もいたんですけど、それよりも『自分がどう生きたいか』だと。その芯が備わったことで......仮に世の中に対して、僕が思う"自分"とはまったく違う映り方をしたとしても、オモロイな、くらいに受け入れられるようになったんだと思います」

(つづく)

家長昭博(いえなが・あきひろ)
1986年6月13日生まれ。京都府出身。ガンバ大阪のアカデミーで育ち、高校2年生の時にトップチームへ昇格。翌2004年、J1デビュー。以降、若き天才プレーヤーとして脚光を浴びるが、レギュラーに定着するまでには至らず、2008年から大分トリニータ、2010年からはセレッソ大阪へ期限付き移籍。そして2011年、マジョルカ(スペイン)へ完全移籍。その後、2012年に蔚山現代(韓国)、古巣のガンバに期限付き移籍。2013年夏にマジョルカに復帰したあと、2014年に大宮アルディージャに完全移籍。2017年には川崎フロンターレへ完全移籍し、以降チームの主力として数々のタイトル奪取に貢献する。2018年にはJリーグのMVPを受賞。

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