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意外にもサッカーの試合をよく見ている家長昭博「変な個性がある選手が好き。最近なら、鹿島の鈴木優磨くん」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

 たとえば、現代サッカーではフィジカルが重視されていますけど、すなわちそれは、足もととかテクニックで勝負する選手が減ってきたという見方もできるので、あえて自分は後者で勝負するみたいな。世界を見渡しても、フィジカルや強度はないのに、その"希少価値"のところで勝負して、試合に出ている選手もいますしね。

 つまり、サッカーの主流に応じてこれをしよう、とかって考えることはまずない。自分のなかで明確に右がいい、左がいい! みたいな正解を作ることもないです。なんていうか、今日は右でいこうか、でも今は左がいいかな、みたいにユラユラしている感じ? サッカーに正解はないのに、自分が正解を導き出そうとする必要はないと思うから。

 もちろん、チームありきの自分なので、僕なりに最低限の役割は押さえているつもりですけど、サッカーも、人生も"いい塩梅"が一番と思って生きています(笑)」

 話を戻そう。

 いっさいの躊躇なく飛び込んだスペインの地で迎えた2011年。シーズン途中の加入になったものの、家長は2月にリーグ登録をされると、直後のオサスナ戦で途中出場ながらラ・リーガデビュー。さらに1カ月後、3月13日のレバンテ戦で初先発し、4月のセビージャ戦で初ゴールを挙げる。

 当時は、少しずつ"海外組"が増えていたとはいえ、ラ・リーガで活躍する日本人選手はほぼいなかった時代。それを考えても、家長のハーフシーズンでの14試合出場2得点はポジティブなもので、家長もそれを自信に勝負の2シーズン目に向かう。

 だが、2011-2012シーズンは、前シーズンに家長を積極的に起用してきたミカエル・ラウドルップ監督が開幕直後に辞任した煽りを受けて、あからさまな構想外に。だが、その経験を含めて、このスペインで過ごした約1年半は家長にとって「初めて味わう感覚」を得た貴重な1年になった。

「結論から言うと、自分が思う自分では通用しなかったということです。正直、日本にいる時は......戦術のなかの自分ということは別として、単に個で何かを競った時に負ける気がしなかったんです。たとえば、ポーンと出されたボールにどっちが早く辿り着くのか、みたいな競争ひとつとっても、『この選手には敵わない』という感覚になったことはなかった。

 でも、スペインでは、持っている資質を全部どうにか出しきってギリギリ、プレーできるって感じで、明らかに個で負けていた。表現が難しいけど、トータルして『男として負けた』みたいな。それは初めて味わう感覚で、しっかり自信をなくした、と言いきれる時間を過ごしました」

 そんなふうに試合に絡めない状況が続いたこともあり、家長は2012年、活躍の場を求めて韓国・Kリーグの蔚山現代で活路を見出す。スペインで味わった挫折を、スペインにとどまって取り戻すことも考えないではなかったが、現実的にオファーはなく、また「できればJリーグ以外の世界を見てみたい」という好奇心からの韓国だった。

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