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意外にもサッカーの試合をよく見ている家長昭博「変な個性がある選手が好き。最近なら、鹿島の鈴木優磨くん」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text by Takamura Misa

「キャリアで唯一の心残りというか、後悔があるとしたら、その時かも。今になって思えば、もうちょっとスペインで粘ればよかったかなと思う自分もいます」

 その蔚山現代では半年間プレーしたのち、2012年夏からは約1年間、古巣・ガンバ大阪に期限付き移籍。2013年夏には再びマジョルカに復帰したが、2013-2014シーズンは7試合の出場にとどまり、家長は2014年末にマジョルカを契約満了となる。

 それを受けて、次なるチームに選んだのが大宮アルディージャだった。

「実は一度、断ったんです。というのも、僕は一度経験したことにあまり惹かれないから。それもあって『Jリーグはもう、いいんちゃうか』みたいに思っていたし、それなら新しい世界を見たいという気持ちのほうが強かった。

 でも、2014年から監督に就任されることになっていた大熊(清)さんが何回も電話をくださって......しかも、なんかめちゃめちゃ交渉がうまくて飲み込まれ(笑)、最後は『じゃあ、行きます!』って返事をしていました。初めての"関東のクラブ"ということに新鮮さを覚えていたところもありました」

 もっとも大宮での1年目は、悔しい記憶のほうが大きかったと振り返る。自身は出場停止の1試合を除く33試合に先発出場したものの、チームは思うように白星をつかめず、シーズンの半ばすぎまで7戦勝ちなし、10戦勝ちなしといった状況を味わうなど、苦しい戦いが続く。結果、2014シーズンを16位で終えた大宮はJ2に降格。それを受けて、家長のもとにはJ1の複数チームからオファーが届いたが、最終的には「自分はもうそのフェーズにいない」と大宮残留を決めた。

「この時の決断がキャリアで一番悩みました。シーズン終盤に、キャプテンの菊地(光将)がケガをしたので2014年はキャプテンマークを巻くことが多かったんですけど、なんていうか......自分がこれだけ試合に出てもチームが全然勝てない状況に、シーズンを通してすごく苦しんだ。

 その経験をした時に『降格したから移籍する、というフェーズにはもういない』と自覚したというか。28歳という年齢、立場、責任みたいなものを含めて、移籍するならやることをやって......大宮をJ1に昇格させてからだと決めました」

 腹を括って臨んだ2015年のJ2リーグは、家長の決勝ゴールで幕を開けた。相手はツエーゲン金沢。開幕戦特有の硬さも相まってスコアレスの状況が長く続いたが、86分、味方選手のヒールパスを受けた家長が右足でゴールネットを揺らす。

 その試合で右膝を痛めて約1カ月の離脱を強いられるアクシデントに見舞われたため、しばらくは戦列を離れたが、第8節の大分トリニータ戦で先発に返り咲いてからは、ほとんどの試合で先発出場。チームも第15節のFC岐阜戦以降は首位を走り続けた。

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