川崎フロンターレ・小林悠が泣きじゃくった高2の大晦日 高校サッカー部は「めっちゃ青春でした」 (5ページ目)
【悩んでいる時が一番成長している】
2回戦からの登場に、石井監督は対戦相手である高松商業高校(香川)の試合映像を見ておくように告げた。しかし、「調子に乗っていた」彼らは、途中まで映像を見ると、誰からともなく、3回戦で対戦するであろう野洲高校(滋賀)の試合映像に入れ替えたのだ。
実際、その年はのちに川崎でチームメイトになる楠神順平や、乾貴士(清水エスパルス)を擁する野洲高が優勝。小林たちは、目の前の相手ではなく、セクシーフットボールと呼ばれ世間を席巻していた野洲高と戦うことに意識が向いていた。
「ホント、若気の至りというか、情けないし、大バカですよね。目の前ではなく、先のことを考えて、自分たちの力を過信していた結果、高松商業高校との試合を2-2で終え、結果的にPK戦で負けました」
まさに、足もとをすくわれたのである。小林は1ゴールをマークしたものの、チームを次のステージに導くことはできなかった。
「本当に当時の自分たちに言ってやりたい。過信することなく、ちゃんとスカウティングしろって(苦笑)」
サッカー部の同級生たちとは今も集まると、必ずこの話題になるという。
「当時エースとして認められていた選手が『PK戦は蹴りたくない』って言って、その代わりにキッカーに選ばれた2年生が、結果的にPKを外して負けてしまったんです」
昔話に花を咲かせ、いつまでも笑い合える仲間こそが、彼が手にした財産だ。
プロになってから経験した幾多の悔しさやケガに見舞われるたびに、恩師である石井監督の言葉を思い出す。
「悩んでいる時が一番、成長しているんだからな」
その言葉を噛みしめ、乗り越えてきた。
「高校の時に、うまくいかないことが続いた時期があったんです。その時に石井監督から、結果が出ていないから、前に進んでいないように感じているかもしれないけど、実はその時期が一番伸びていると言ってもらって、この苦しみや悩みも無駄ではないと思うことができた。
プロになってからも、そういう時期を過ごすたびに、今、自分は成長しようとしているんだと思ってやってきました」
少し大きくなった自分の子どもにも、その言葉は伝えているという。なにより、小林悠の生き様が、恩師の言葉を示している。
(つづく)
◆小林悠・2回目>>先輩に向かって「ちゃんと部活やれよ!」と言った理由
【profile】
小林悠(こばやし・ゆう)
1987年9月23日生まれ、東京都町田市出身。麻布大学附属渕野辺高(現・麻布大学附属高)時代は2年連続で選手権に出場し、拓殖大では在学中に水戸ホーリーホックの特別指定選手としてJリーグデビューを果たす。大学卒業後の2010年から川崎フロンターレの一員となり今シーズンで16年目。2014年10月のジャマイカ戦で日本代表デビュー。国際Aマッチ出場14試合2得点。川崎に4度のJ1優勝をもたらし、2017年にはリーグ得点王とシーズンMVPを受賞する。ポジション=FW。177cm、72kg。
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著者プロフィール
原田大輔 (はらだ・だいすけ)
スポーツライター。1977年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めたのち独立。Jリーグを中心に取材し、各クラブのオフィシャルメディアにも寄稿している。主な著書に『愛されて、勝つ 川崎フロンターレ「365日まちクラブ」の作り方』(小学館クリエイティブ)など。
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