川崎フロンターレ・小林悠が泣きじゃくった高2の大晦日 高校サッカー部は「めっちゃ青春でした」 (2ページ目)
【当時のサッカー部の悪しき慣習】
サッカー部に入ると、同級生には小学生時代から選抜チームでともにプレーしていた太田宏介を筆頭に、町田市内で名の知られていた町田JFC、FC町田(現・FC町田ゼルビア)の有力選手たちが揃っていた。自分の母親と太田の母親が周囲に声をかけ、部員集めに一役買っていたのである。そのため、チームが強くなる下地は整っていた。
「サッカー部の選手たちは同じコースだったから、クラスも一緒で。クラブチームの時は学校もバラバラで、練習や試合の時だけ集まる感じでしたけど、高校では毎日の授業や休み時間もともに過ごして、授業が終わったら着替えて、同じメンバーで練習をしていたので、仲はよかったですし、チームワークもかなり高かったですね」
今季でプロ16年目の37歳。20年以上も前の話だから、当時のサッカー部には悪しき慣習も残ってはいた。
「先輩は優しかったけど、3年生が帰るまで、1年生は帰ってはいけないという変なルールがあったりして。練習後に先輩がひとり残って、ずっとスパイクを磨いていたりする(苦笑)。そのせいで僕ら1年生は帰ることができず、その時ばかりは心の中で『頼むから早く帰ってくれよ』と叫んでいました(笑)。
だから僕が、というわけではないですけど、同学年には(太田)宏介を中心にフレンドリーな選手が多かったので、自分たちがやられてイヤだったことは、みんなで相談して自分たちが最上級生になった時には変えました」
不用な慣習を改善したところも、チームワークのよさを示すひとつだ。ほかにもチームの絆(きずな)が感じられるエピソードはある。
「休み明けには必ずフィジカルトレーニングがあったのですが、それと夏の合宿は、とにかくきつかった。それは今もかなり覚えています」
フィジカルトレーニングでは、全員が設定された時間内に、指定の距離を走りきらなければならなかった。そのため、誰かが遅れそうになれば背中を押してでもゴールさせた。
過酷な12分間走では、少しでも走る距離を短くしようと、みんなでコーナーに置かれたマーカーを回るたびに、足でつついて内側にずらした。全員で共有した励まし合いも、ずる賢さも、すべてが団結力につながっていた。
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