川崎フロンターレ・小林悠が泣きじゃくった高2の大晦日 高校サッカー部は「めっちゃ青春でした」 (3ページ目)
【一番後ろを走っていたからこそ】
「やっぱりメンタルは鍛えられましたし、強くなったと思います」
それは、自らの行動や姿勢に表われている。
「僕、中学生まで走るトレーニングでは、一番後ろを走っているような選手だったんです。本当に走るのが大嫌いで、その時ばかりはサッカーが辞めたくなっていたくらい。
でも、高校に進学して、『ここで強くならなければ』と思って、とにかく前を走ろうと思ったんです。そう決意してからは、本当にみんなの前を走れるようになって。そこで知ったのは、まさにきつい練習や厳しい状況を乗り越えるのは、自分次第。気持ちが大切だということでした」
「だから」と、小林は言う。
「今、似たような思いや状況の子どもたちもたくさんいると思うんですけど、意外と『気持ちひとつで変わるぞ』って伝えたい。たしかに体力のある・ないというのも関係あるとは思いますけど、『イヤだな、イヤだな』って思って走るのと、『今日はがんばってみよう』と思って走るのでは、気持ちも結果も変わってくる。それは、自分が一番後ろを走っていたからこそわかります」
高校に入学した時から抜きん出た存在だったわけではない。A〜Dまで4つに分けられていたチーム構成では、3つ目のCチームでスタートした。
高校1年の時にCチームの夏合宿に参加してアピールすると認められて、Bチームの夏合宿に追加招集される。そこでも活躍して力を証明すると、Aチームの夏合宿への参加資格を勝ち取った。
「母親は『合宿に参加するのは1回って聞いていたのに』って笑っていましたけどね。でも、僕自身はうれしかった」
麻布大学附属渕野辺高は、小林が2年生の時に初めて全国高校サッカー選手権に出場する。ただ、当初は自信を手にしていたわけではなかった。
「当時は桐光学園高校が圧倒的に強くて、僕らは関東大会もインターハイも彼らに負けていた。だから、選手権の県予選で早々に対戦が決まった時は、先輩たちに冗談で『3年間、お疲れさまでした』と言っていたくらい(笑)。そのくらい、明らかな実力差がありました」
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