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川崎フロンターレ・小林悠が泣きじゃくった高2の大晦日 高校サッカー部は「めっちゃ青春でした」 (4ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke

【自分たちの力を過信しすぎていた】

 一発勝負のトーナメントは何が起こるかわからないとは、よく言ったもので、延長の末に桐光学園高に勝利すると、勢いに乗って準決勝、決勝も勝ち抜き、全国への切符を手にする。しかし、初めての選手権は、2004年12月31日に行なわれた1回戦で玉野光南高校(岡山)に0-2で敗れて、年を越すことはできなかった。

「試合の日は大雪が降っていて、数メートル先が見えないような状況で。条件は同じなので、天候を言い訳にするわけじゃないですけど、先輩たちにはいい環境、状況で試合をさせてあげたかったなって今でも思います」

 失点のきっかけとなるファウルを与えた責任を感じて、泣きじゃくる小林に、先輩は「ここまで連れてきてくれてありがとうな」「ここまで来られたのはお前たちがいたからだ」と声をかけてくれた。感謝の言葉が余計に心に染みて、さらに嗚咽は止まらなかった。

「泣きじゃくる、という表現がぴったりなくらい泣きました。プロになってからも何度も、何度も泣いていますけど、またちょっと涙の種類が違うというか。だって、仕事じゃないし、お金も発生していないじゃないですか。それなのに、ひとつの目標に向かってみんなが一緒にがんばる。まさに青春、めっちゃ青春でした」

 全国大会を経験して得た自信は、10代の選手たちにとって計り知れなかったのだろう。高校3年になった2005年、選手権の県予選決勝で桐光学園高に2-0で勝利すると、2年連続で出場権を獲得した。

「自分たちの代になった時は、絶対に勝てる自信がものすごくありました。試合に出場する半数近くが前年に選手権を経験していたし、ほかにもうまい選手はたくさんいたので。本当に、1年生の時からずっと苦楽をともにしてきたメンバーは心強かったし、信頼関係が築けていたことも大きかった」

 県大会どころか、全国でも十分に戦える自信を携えていた。ところが、小林は「でも」と続ける。

「今、思えば、自信がありすぎて、自分たちの力を過信しすぎていたんです」

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