Jリーグで充実の日々を語るファジアーノ岡山のFWルカオ「本当に感動した」スタジアムとは?
ファジアーノ岡山 ルカオ インタビュー 後編
ファジアーノ岡山FWルカオのインタビュー最終回。感動した日産スタジアムでのプレー、自身のプレースタイル、今後のキャリアについても語った。
>>前編「ルカオが語るJリーグでプレーするまでの経緯」
>>中編「ルカオが語る来日からのJリーグでのプレー」
アウェーの横浜F・マリノス戦で決勝ゴールを決めたファジアーノ岡山のルカオ photo by Kishiku Toraoこの記事に関連する写真を見る
【ブラジルがW杯優勝を決めたスタジアムでゴール】
今から23年前、ブラジルが5度目のワールドカップ優勝を果たした。
2002年6月30日に行なわれた決勝で、セレソン(ブラジル代表)のロナウドがドイツの守護神オリバー・カーンから2得点を挙げ、ブラジルは最多優勝回数を更新。王国の代表が金字塔を打ち立てた舞台は、横浜国際総合競技場だった。
現在はネーミングライツにより、日産スタジアムと呼ばれるその場所は、ブラジル人のフットボーラーにとって大きな意味を持つ。今年6月21日、ルカオはそこでゴールを奪った。
「あのスタジアムでネットを揺らすことができて、信じられないほど嬉しかった」
横浜F・マリノスとのアウェー戦の17分、神谷優太のコーナーキックに頭を合わせて挙げた決勝点をルカオは振り返る。
「大好きなロナウド・フェノーメノ(※怪物という愛称があった)がゴールを決め、セレソンがワールドカップで優勝したスタジアムですから。ピッチに足を踏み入れた瞬間から、ここでロナウドがプレーしていたんだなと、想像していました。本当に感動しました」
ユースアカデミーを知らない叩き上げのストライカーは、ピュアな向上心と不断の努力でJ1に辿り着き、29歳にして、またひとつ夢を叶えた。顔を綻ばせながら、実に嬉しそうに話すが、もっと喜んでいた人がいるという。
「一番喜んでいたのは、お父さんじゃないかな。このことを話したら、ものすごく嬉しそうにしていて、街中のひとに自慢したみたいで。たぶん、ドーレス・ド・トゥルボの5000人の住民のほとんどに、知れ渡ったんじゃないかな(笑)」
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著者プロフィール
井川洋一 (いがわ・よういち)
スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。