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【Jリーグ】ファジアーノ岡山のルカオが語る日本でのプレー「昇格を決めた瞬間のことは、一生忘れません」

  • 井川洋一●取材・文 text by Igawa Yoichi

Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

ファジアーノ岡山 ルカオ インタビュー 中編

 ファジアーノ岡山のFWルカオをインタビュー。2019年に来日してからのJリーグでのプレーについて語ってもらった。

>>前編「ルカオが語るJリーグでプレーするまでの経緯」

ファジアーノ岡山のルカオ(左から2人目)が忘れられないという昨年のJ1昇格の瞬間 photo by Getty Imagesファジアーノ岡山のルカオ(左から2人目)が忘れられないという昨年のJ1昇格の瞬間 photo by Getty Imagesこの記事に関連する写真を見る

【日本は予想以上にすばらしい国だった】

 2019年夏、ギリシャのアポロン・ラリッサとの契約を終えたルカオは、鹿児島ユナイテッドに加入した。

 それまで日本を訪れたことはなく、彼が極東の島国に抱いていた印象は漠然としたものだった。Jリーグについては、過去にレアンドロ・ダミアンやフッキら、憧れていた同胞のストライカーがプレーしていたから、なんとなく知っていたという。

「住みやすい国だろうと想像していましたが、実際に生活を始めると、予想以上にすばらしい国だということがわかりました」

 ルカオはにこやかにそう語る。早口でメロディアスなポルトガル語は、歌を歌っているようにも聞こえる。

「すばらしい文化があり、人々は他者を敬い、どこも清潔に保たれている。僕には妻とふたりの息子がいるので、治安がいいことも助かっています」

 周囲のサポートもあり、スムーズに生活を始められるようになったが、ピッチ上では最初は戸惑いがあったという。

「ブラジルと日本では、ストライカーに求められるものが違います。ブラジルでは基本的にゴールを決めることに集中していましたが、ここでは攻撃的な選手にも守備のタスクがありますよね。攻撃と守備のトランジションも、徹底する必要がある。率直に言って、慣れるまでに3、4カ月くらいかかりました」

 鹿児島では半シーズンで16試合3得点を記録したが、チームがJ3に降格したため、自身はツエーゲン金沢へ移籍。ハムストリングの負傷で延べ3カ月ほど戦列を離れながら、24試合に出場し、10得点と二桁に乗せている。

 翌2021年は松本山雅FCへ移ったものの、ヒザの問題で出遅れ、彼にとってシーズン2試合目となった8月のブラウブリッツ秋田戦で膝蓋骨を骨折する重傷に見舞われた。当時のことをルカオはこう振り返る。

「この時は自分のキャリアで一番辛い時期でした。手術の後にリハビリがあって、落ち込むことが多かった。でも、妻がいつもサポートしてくれて、僕の大好きなフェジョアーダなど、おいしいブラジル料理を作ってくれて支えてくれた。それから子どもと一緒にいると、ふさぎこんでいた気分もすっかり晴れる。家族の支えがあったからこそ、あの苦しい期間を乗り越えられました」

 自身は4試合の出場にとどまり、無得点で終わり、チームはJ3に降格。次の2022年シーズンは初のJ3で、21試合4ゴールを記録した。

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著者プロフィール

  • 井川洋一

    井川洋一 (いがわ・よういち)

    スポーツライター、編集者、翻訳者、コーディネーター。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを歩み始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。欧州や南米、アフリカなど世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々なメディアに寄稿する。1978年、福岡県生まれ。

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