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鹿島アントラーズで「プロでも戦える選手になった」41歳・中島裕希が振り返る、波乱万丈のサッカー人生 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 それを肌身で感じたからこそ、その後に所属したチームでも常に、クラブを取り巻く人たちの想いはいつもありがたく大切に受け止めてきたし、一日一日を大切に過ごしてきました」

 仙台でのキャリアに終止符を打ち、2012年からモンテディオ山形に活躍の場を求めたのも日々の大切さを実感すればこそだろう。

「2010、2011年と出場時間が減っていったなかで山形に声をかけていただいて、選手として求められるのは大事だと思ったし、試合に出てナンボの世界に身を置いているという自覚のもと、移籍を決断しました」

 戦うステージは再びJ2リーグに下げることにはなったが、鹿島時代に選手とコーチという立場で仕事をした奥野僚右監督に求められたことも決断につながったと振り返る。当時は27歳。キャリアも後半に差しかかりつつある状況に危機感を覚えたところもあったのかと尋ねると、「正直、そこまで先のことは考えていなかった」と笑った。

「今もそうですけど、自分の先のキャリアとか、未来を想像したことがないんです。その時々で、このキャリアをどう歩みたいかを考えるというよりは......ちょっと格好よく言うと『今を、一瞬一瞬を生きていたい』みたいな。

 実際、その積み重ねで未来が決まると信じているし、決まってきたと思っているから。これは間違いなく、東日本大震災を経験してその時々にできることを精一杯でやっていくことでしか前には進めないと肌身で感じたからだと思います」

 だから、4シーズンを過ごした山形から契約満了を告げられた時も、キャリアで初めてトライアウトに参加することになった時も、動じることはなかったという。

「今、やることをやっていたら、きっと誰かが見ていてくれる」

 結果的に、代理人からの「まだやれるってことを、トライアウトで証明してみるのもいいんじゃないか」という提案もあって参加を決めたものの、「よし、アピールするぞ!」的に肩に力が入ることもなく、あくまでいつもどおりのプレーをしようと会場に向かったと聞く。

 だが、到着した会場の空気は想像以上に、緊迫感に包まれていた。

(つづく)◆中島裕希がジーコ、カズ、ゴンを抜く日は来るか...>>

中島裕希(なかしま・ゆうき)
1984年6月16日生まれ。富山県出身。富山第一高卒業後、2003年に鹿島アントラーズに入団。「常勝軍団」のなかでもまれて、2006年にベガルタ仙台へ期限付き移籍。2008年に完全移籍する。その後、2012年にモンテディオ山形に期限付きで移籍し、翌年完全移籍。2015シーズン終了後、契約満了となるが、トライアウトを経て2016年にFC町田ゼルビアへ加入した。身体能力に優れた万能FW。

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