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鹿島アントラーズで「プロでも戦える選手になった」41歳・中島裕希が振り返る、波乱万丈のサッカー人生 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

「今も昔も、得点はできなくても点に絡めればいい、チームが勝つための貢献ができればいいという考えは変わっていません。とか言いながら、自分が取れたらうれしかったりもするんですけど(笑)、常々『自分は点を取るだけの選手じゃない』と思っていました。また、どんなタスクであれ、まずは監督に求められることを表現することも心がけてきたことのひとつです。監督に『こいつを使ってみたい』と思わせられる選手じゃなきゃダメだという考えは、いつも自分の軸にありました」

 話を戻そう。そうして仙台でのプレーも6シーズン目を迎えた2011年。中島は、サッカーはおろか、人生を考えさせられる出来事に直面する。東日本大震災だ。未曾有の災害に直面した経験は今も彼のなかで息づいている。

「J1リーグのホーム開幕戦を迎える前日だったんですけど、人生で一番の衝撃でした。その後、津波による甚大な被害を受けた石巻市などにも足を運びましたが、もう本当に......家も、何もかもなくなって、ただの更地みたいになっていたんです。

 あの状況を目の当たりにした時には、現実だとは思えないような、言葉にし難い気持ちになったのを覚えています。と同時に、今日という一日が当たり前じゃない、明日があるかもわからないということを実感して、心から"目の前の一日"への思いが強くなりました」

"想い"が人を動かすことを実感したのも、このシーズンだ。チームを率いる手倉森誠監督のもと3月末に活動を再開したチームは、練習の合間を縫ってボランティア活動なども行ないながら、4月23日、J1リーグ再開の日を迎える。

 その第7節の川崎フロンターレ戦は今も忘れられない試合だという。

 アウェーの等々力陸上競技場のスタンドに掲げられた「宮城の希望の星になろう。共に歩もう、前を向いて」の横断幕。サポーター同士が、隣の人と堅く手をつないで両手を掲げ、"共に"の想いを伝えてくれた選手入場のシーン。被災地への想いを込めた黙祷。それらを含めて、すべての人たちの"想い"が宿った一戦は、ドラマチックな逆転勝利で結実した。

「川崎戦の太田(吉彰)さんの同点ゴールは鮮明に覚えています。そのゴールも、セットプレーに合わせた鎌田(次郎)の逆転ゴールもですけど、2011年はこれまでなら絶対に入っていなかったシュートがゴールに吸い込まれていく、みたいなシーンがたくさんあって奇跡の連続でした」

 事実、その一戦を皮切りに、地元・仙台はもちろん、世界中から届けられた想いや、それに応えようとする選手、スタッフの想いは、シーズンを通してチームの魂として宿り続けた。

「僕たち選手、スタッフの『仙台のために』って想いはもちろん、その家族や応援してくれる方たち、サポーターの想いなど、本当にいろんな人の想いがチームに宿っているのを感じたシーズンでした。"見えない力"がこんなにも人を動かすんだと知ったのも初めてで......結果的に前年度14位に低迷したチームが4位という成績を収められたのも、間違いなくその"見えない力"のおかげだったな、と。

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