ケガに泣かされ続けた山田直輝「サッカーがうまけりゃいいんでしょ的なダメ人間」はこうして変わった (2ページ目)
そして山田は2019年夏、再び湘南に舞い戻る。ただし、同じ期限付き移籍でもその胸中は1度目とは大きく違っていたと振り返る。
「1度目は浦和に戻ることが前提でしたけど、2019年夏は、自分はもう浦和に帰れないと覚悟したうえでの決断でした。また1度目はとにかく自分を再生させることしか頭になかったけど、2度目はとにかく湘南の力になりたいという一心でした」
その言葉どおり、2度目の湘南での時間は、チームのために戦い抜いた6シーズンだった。復帰戦となった2019年のJ1第22節のジュビロ磐田戦で初ゴールを決め、ユニフォームのエンブレムを鷲掴みにして喜びを表現していた姿も印象に残っている。
以降も「10番」を背負い、その胸の内を示すような熱いプレーで湘南を象徴する"魂"であり続けた。
当時のチームメイト、小野瀬康介や奥野耕平らの言葉からも、彼が湘南で示していた存在感が垣間見える。
「基礎技術がすごく高く、サッカーIQも高いから、誰と組んでもチームのためにいいパフォーマンスを発揮できるヤーマン(山田)。チームメイトになって意外だったのが、ヘディングが強くてクロスボールに全然、怖がらずに突っ込んでいくところ! あれはマジですごかった」(小野瀬)
「ヤーマンはおしゃべりですごく人懐こく、僕が先日の東京ヴェルディ戦でプロ7年目にしてJ1初ゴールを決めた時もすぐに『おめでとう!』って連絡をくれるような、優しい先輩です。技術も高くて、巧いのに、チームのために頑張れるし、ホンマに毎日ギラギラと、気持ち剥き出しでサッカーをしていました」(奥野)
ただし、そうして熱を持って戦い続けた一方で、2024年の終盤は思いが強すぎたがゆえに「自分ががんじがらめになっていた」とも。
「僕の性格もあってか、年齢が上がるほどいろんなことを背負いすぎちゃったというか。チームの一選手にすぎないのに、勝負の責任を負わなきゃいけないと感じすぎてしまっていた気もします。
事実、2024年の最後のほうは試合のたびにすごく緊張していたし、自分のプレーでチームが負けたらどうしようというような、ネガティブな感情が顔を出すことも増えたというか。『試合をするのが楽しみだな』っていうよりは、『無事、試合を終えられるかな』って感情のほうが強くなっていて......なんか本当に変な感覚でした。
それまでは、毎年のように残留争いに巻き込まれながらも毎日、自分のすべてでサッカーに向き合って、みんなとボールが蹴るのが楽しかったんですけどね。後輩たちに『ヤーマン』と呼び捨てにされるくらい先輩としては見られていなかったし、なんならいちばんイジられていましたけど(笑)、その湘南の雰囲気もすごく好きでした。
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