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「引退」への気持ちが固まっていた34歳・元日本代表MFの考えを一変させた家族の言葉「心の炎が燃え上がった」 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 事実、湘南に加入した2015年について、山田は「練習では誰よりも雷を落とされ、誰よりも多くの個人ミーティングをしてもらった」と振り返る。リーグ戦には17試合しか出場できず、先発出場もわずか4試合にとどまったが、それでも、その時間は少しずつ山田に新たな武器を植えつけていった。

「2014年に浦和を離れた時の僕は、ある意味"ゼロ"の状態にリセットされていたので。湘南では、子どもの頃にプロサッカー選手を目指した時と同じくらい、濃い時間を過ごさないとプロサッカー選手でいられなくなると思っていたし、ここで変われなければプロサッカー選手をやめるしかないと必死でした。

 サッカーを頭で考えられるようになったのも、チームの勝利のためにプレーできるようになったのも、あの時間があったから。何より、人間性の部分で成長できたのは、以降のキャリアを戦ううえでの大きな武器になった。あの時の、曺さんを含めた湘南の環境がなければ、絶対に僕はもう一度ピッチに立つことができなかったと思っています」

 生まれ変わった自分を公式戦で確認できたのは、湘南への加入から約1年半がすぎた2016年の終盤だ。チームとしてはJ2降格を余儀なくされたものの、シーズン最終盤に入って先発をまかされることが増えた山田は、自身の変化を実感しながらシーズンを終える。だからこそ、そのタイミングで浦和に復帰することも考えないではなかったが、彼は湘南への残留を決めた。

「曺さんに口酸っぱく求め続けていただいたことが、2016年の終盤頃からようやくプレーで表現できるようになっていたとはいえ、自分に確証を持てるほどではなかったですから。何より、湘南を降格させてしまった、力になれなかったという悔しさを晴らすためにも、湘南に残って1年でJ1に復帰させたいと思いました。また"新しい自分"が1シーズンを通して戦えるのかに挑戦してみたいという気持ちも強かった」

 その思いのままに、自身にとって初めてのJ2を戦った2017年。開幕戦から先発のピッチに立った山田は、"闘える"選手として変貌した姿を存分に示しながら躍動した。リーグ戦への出場はフィールド選手ではチーム最多タイを数える39試合。その時間によって、確かな自信が芽生えるのを感じたという。

「自分が今、どのくらいのレベルにいるのかを知る1年にしようと思っていたなかで、シーズンを通して全力で相手チーム、選手と本気でやり合えたのは自信になりました。何より、チームとしてもJ2で優勝し、1年でJ1に復帰できたのもうれしかった」

 そして、その自分を体感できたからこそ、山田は浦和復帰を決心する。湘南からも期限付き移籍延長のオファーは受けていたが、最後は自分自身が「後悔しない選択」を選んだ。

(つづく)◆山田直輝「サッカーがうまけりゃいいんでしょ的なダメ人間」はこうして変わった>>

山田直輝(やまだ・なおき)
1990年7月4日生まれ。埼玉県出身。多彩なアイデアと卓越した技術を誇るミッドフィルダー。浦和レッズのアカデミーで育ち、2009年にトップ昇格。1年目からレギュラーの座をつかみ、日本代表にも選出された。しかし翌年、日本代表のアジアカップ予選、イエメン戦で負傷。以来、ケガで泣かされることが続く。2015年に湘南ベルマーレに期限付き移籍し、2018年に浦和へ復帰。2019年、再び湘南に期限付き移籍し、翌年完全移籍。そして2025年、FC岐阜に加入した。

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