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ACL日本勢の初優勝は約40年前 超絶アウェーのサウジアラビアでハットトリックしたレジェンドがいる (3ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【約40年前の日本勢の初優勝】

 しかし、今後も中東での開催が続くのであるとすれば、なんとかアウェーでも勝利する方法を模索しなければならない。

 そこで思い出すのが、1986年に行なわれた第6回アジアクラブ選手権(ACLの前身)だ。

 サウジアラビアのリヤドで行なわれたこの大会の決勝ラウンドで、古河電工が3戦全勝で優勝したのだ。古河のほか、中国の遼寧省、サウジアラビアのアル・ヒラルとイラクのアル・タラバがベスト4に残っていて、総当たりで優勝を争った。

 当初は1月開催の予定だったのが、突然1986年12月末に繰り上がり、天皇杯全日本選手権の日程とバッティング。当初はアジアクラブ選手権を棄権するとも噂されたが、日本サッカー協会が天皇杯への棄権を認めたことで、清雲栄純監督率いる古河は勇躍サウジアラビアに向かって飛び立った。

 もっとも、当時、日本から中東への直行便はなかったし、サウジアラビアは国を閉ざしていて容易にはビザがおりない国だった。日本チームが中東で頻繁に試合を行なうようになったのも1990年代に入ってからのこと。当時、サウジアラビアはほとんどの日本人にとってまったく想像がつかない国だった。

 つまり、"アウェー感"は今以上に強かったのだ。

 日本サッカー界は1980年代に入ってかなり上向いており、1985年のメキシコW杯予選でも日本は最終予選まで勝ち残った。だが、日本はまだW杯でも五輪でもアジア予選を突破できていない時代だった。

 それに対して、サウジアラビアはW杯出場こそまだなかったものの、1984年にシンガポールで開かれたアジアカップで初優勝(4年後のカタール大会で連覇達成)。1986年のソウル・アジア大会でも準優勝と、まさにアジアを代表する強豪だった。したがって、古河がアウェーの地でアル・ヒラルに勝てるとはまったく思えなかった。

 実際、12月26日の開幕戦でアル・ヒラルと対戦した古河は31分に先制されてしまった。しかし、その後はリベロの岡田武史やディフェンシブハーフの宮内聡を中心に粘り強く守り、40分に奥寺康彦が同点とする。後半には日本サッカーリーグ(JSL)得点王の吉田弘が逆転弾を決め、さらに奥寺が2ゴールを加えて4対1とリード。その後、アル・ヒラルに追い上げられたものの、古河は完全アウェーの試合を4対3でものにしたのだ。

 そして、その後、アル・タラバ、遼寧省にも勝利した古河は3戦全勝で優勝を遂げた。

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