ACL日本勢の初優勝は約40年前 超絶アウェーのサウジアラビアでハットトリックしたレジェンドがいる (4ページ目)
【奥寺康彦が伝説の活躍】
奥寺は古河で活躍した後、1977年に西ドイツ(当時)のケルンに入団。以後、9季に渡ってブンデスリーガで活躍し、34歳になった1986年夏に古河に復帰していた。
西ドイツでプレーしていた時期には選出されなかったので、奥寺はその全盛期には日本代表でプレーしていない。復帰後には1987年のソウル五輪予選に参加したものの、日本は中国相手にアウェーで先勝しながら、ホームで敗れて予選敗退してしまった。
つまり、奥寺は代表ではあまり活躍できなかったのだ。したがって、アジアクラブ選手権での優勝。とくに、アル・ヒラル戦でのハットトリックこそが、日本のサッカーに対する奥寺の最大の貢献だった。
ところが、この古河の歴史的快挙については、残念ながらあまり知られていない。
当時、日本でのサッカーに対する関心は大きくなかったし、開催地がサウジアラビアだったため報道も小さく、もちろんテレビ中継もなかった。
僕はもともと古河のファンだったこともあって、どうしても映像が見たかった。
そこで、古河のサッカー部から現地での中継映像の録画を貰ってきた。VHS方式のビデオカセットで画質はよくなかったが、アウェーの環境に苦しみながら戦う姿を目にすることができた(アラビア語の実況も迫力があった)。
現在行なわれているACLEの中東のチームと同様、あの時のアル・ヒラルも攻撃力は高かったが、守備強度は高くないという印象を受けた。古河のようにアウェーで勝利するためには、そうした相手の守備の甘さを衝くしかない。
ところで、この記事を書くために、そのVHSカセットを探したのだが、見当たらなかった。VHSのビデオは経年劣化によっていずれ見ることができなくなってしまうともいう。本気で探してみなくては......。
著者プロフィール
後藤健生 (ごとう・たけお)
1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2025年、生涯観戦試合数は7500試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。
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