検索

Jリーグシーズン移行で冬の試合は増加? 寒さのなかのサッカー観戦で思い出す出来事 (2ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【「寒さのなかの試合」と言えば......】

「寒さのなかの試合」と言えば、なんと言っても1987年12月のトヨタカップのポルト対ペニャロール戦だ。Jリーグ開幕前のまだサッカー人気が低迷していた時代。欧州チャンピオンズカップと南米リベルタドーレス杯の勝者同士が「世界一」を懸けて戦うトヨタカップは、サッカーファンの数少ない楽しみだった。

 ところが、前夜からの雪でグラウンドが真っ白になってしまったのだ。雪用の黄色いボールが使われたが、寒さでボールが破裂してしまう場面すらあった。

 当時の国立競技場はメインスタンド以外には屋根がなく、多くの観客は降り続く雪のなかに立ち尽くし、震えながらの観戦となった。しかも、80分にペニャロールのリカルド・ビエラが同点ゴールを決めたため、試合は延長戦に突入したのだ。

 延長に入った時点でスタンドから立ち去る観客もいたが、結局、延長後半にラバー・マジェールが決めてポルトが優勝した。

 ポルトはポルトガル、ペニャロールはウルグアイのチームだ。どちらも雪はあまり降らない国だから、雪中戦に慣れているはずはない。それでも、世界一を決めるにふさわしい試合を見せてくれた。

 雪は降らないが、ポルトガルもウルグアイも冬場には寒くなる。

 たとえば、1995年のコパ・アメリカ(南米選手権)はウルグアイで行なわれ、エンツォ・フランチェスコリ率いるウルグアイが決勝でブラジルにPK勝ちして優勝を遂げたが、この大会も本当に寒かった。

 ウルグアイの首都モンテビデオは南緯35度にある。東京が北緯36度だから、緯度は日本とほぼ同じ。大会は7月だったから、北半球の1月に当たる真冬である。南(つまり南極の方向)から寒気が北上してくる。

 7月20日の準決勝は、モンテビデオから100キロほど東のマルドナードでのブラジル対アメリカ戦を見に行ったのだが、21時35分という遅い時間の試合で、夜が更けるとともに気温がどんどん低下。とうとう氷点下にまで下がってしまった。スタンドは空席が目立ち、コンクリート打ちっぱなしのスタンドに座っていると体が冷えきってしまった。

 フランスでも氷点下を経験したことがある。

 1999年1月にフランス・リーグドゥ(2部)のボーヴェ対サンテティエンヌ戦を見た時のことだ(名門サンテティエンヌは、当時2部で戦っていた)。ボーヴェはパリの北60キロほどのところにある人口5万人の小都市で、LCC用の空港がある(北緯49度!)。もっとも、ボーヴェのスタジアムの記者席は暖房されていたので、この時は寒さを直接体感せずに済んだのだが......。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る