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Jリーグでプロ入り10年のキム・ミンテ「自分を映画の主人公だと思って生きている」 (3ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho

【ケガで思うようにいかなかった鹿島時代】

 しかし、2022年シーズンに始まるこの決断は数字の上では"失敗"に終わる。

「加入後すぐに、またケガです。それでも最初の頃には試合に出ていたんですけど、パフォーマンスが上がらなくて。スタートラインにも立てなかった印象です」

 それでも粘ってチャレンジを続けた。ある"希望"があったからだ。

「コロナの状況にあって、シーズン途中から合流した監督が外国人(レネ・ヴァイラー)だったからです。外国人監督はそこまでの実績は関係なく、その時点での選手をフラットに見ていく傾向があるので」

 実際に、3月中旬のレネ・ヴァイラー合流後は状況が多少は好転していった。試合に起用され始める。しかし、それでもまだ状況は思うようにはいかない。

「パフォーマンスが上がらず、オウンゴール(7月6日第20節セレッソ大阪戦)や退場(7月16日第22節ヴィッセル神戸戦)を繰り返してしまって......」

 翌2023年シーズンは、前年8月からレネ・ヴァイラーに替わり指揮を執っていた岩政大樹が最初から監督を務めるシーズンになった。しかし、キム・ミンテをまたしても負傷が襲う。

「チーム内での競争が一番活発な時期に出遅れてしまった。それでもダイキさんは試合に使ってくれていましたし、試合に勝つこともあった。ただ、その年に加わった、もともと鹿島にいた同じCBの植田直通や昌子源らは試合でどんどん力を発揮していく状況でした」

 この頃に悟った。

「多分ですけど、僕の感じたところでは、自分はダイキさんの理想や鹿島の理想に合わないタイプの選手だったな、と感じたんです」

 そう考えると、気持ちが吹っきれた。自分ができることはやりきった。その結果として再び移籍を決断した。

「最後にダイキさんに『おまえならやれると思う』と言ってもらえて、スッキリしました。頑張っている姿を見ていてくれてたんだなと。僕はやっぱり、ボランチがCBをやっていた感じが残っていたと思うんです。そこをCBだったダイキ監督に指導してもらえた。守備のやり方、どしっとした存在感を出す方法。その点にはとても感謝しています」

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