Jリーグでプロ入り10年のキム・ミンテ「自分を映画の主人公だと思って生きている」 (2ページ目)
【チャレンジのための移籍決断】
しかし、キム・ミンテは3シーズン半でこの札幌での時間に終止符を打つことになる。
CBに主戦場を移し、2シーズン目となった2021年シーズン前半、2度退場処分になり3試合も出場停止となった。「ミシャも僕を使いづらくなったと思います」。
ベンチ外の状況が多くなった。チーム内での序列が下がっていくのを感じた。監督に話を聞きに言ったが「今出ている選手のほうがいい」という答えが帰ってきた。
ミシャのことは恩人だと思うほどに感謝している。しかし試合出場のチャンスは減りそうな気配だった。同時に「守備の細かいことをもう少し学びたい」という思いも芽生え始めていた。「ブラボー」と声をかけられる心地よさはあったが、細かい守備に関しては「ボールを握っていれば、あまり考えなくてもよい」といった方針だった。
そんな折に名古屋グランパスからのオファーが届いた。CBの丸山祐市が負傷して、そのポジションにキム・ミンテが求められた。
ビッグクラブへの移籍だった。一方でこんな思いがあった。
「監督がイタリア人(マッシモ・フィッカデンティ)だったでしょう? だからもっと守備の細かいところを教われるんじゃないかって」
2021年8月、コンサドーレのチームメイトとの別れの時が来た。
「僕、泣きながら挨拶しました。チームメイトも泣いていたと思います。ミンテが外国人かどうかじゃなくて、ミンテという人間が大切なんだ、と言ってくれたチームメイトもいて......。一緒に戦って、一緒に成長した。そんなつながりを感じていたんですよ」
所属チームの切り替わりは早かった。この月の11日、名古屋に期限付き移籍し、すぐにデビュー戦でゴールを挙げた。10月30日にはルヴァンカップ優勝に貢献。すぐに名古屋という街も好きになった。
しかしシーズン後、キム・ミンテはまた新たな決断をする。守備を教わりたい、と考えていたフィッカデンディの退任も決まり、心が動いた。
気になっていたクラブ、鹿島アントラーズからのオファーが届いたのだ。
「どこかで、内田(篤人)さんのインタビューを目にしたんです。鹿島の強さの秘訣ってなんだろうって。シーズン序盤には連敗を喫して、低い順位にいたのに結局は4位くらいに入ってくる。そういう年が2年くらいあったな、という記憶があって」
札幌時代にも鹿島と試合をして、結構勝った記憶がある。でも最終順位は鹿島が上にいる。
それはいったい何なのか。知りたい思いもあり、鹿島からのオファーを受け入れた。名古屋で優勝を経験し、いいチームメイトに恵まれていたが、あえて決断したのだった。
「わざわざ自分からジャングルに入っていくような話です。自分である程度安定した道を作ってきたのに、またチャレンジしようと」
2 / 5