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鹿島アントラーズvsサンフレッチェ広島が魅力的な攻防を展開 古豪同士の対決はなぜ人々の心を打つのか (4ページ目)

  • 後藤健生●文 text by Goto Takeo

【広島のスタートは1938年、鹿島は1947年】

「古豪」という意味では、広島はまさに「古豪中の古豪」と言えるチームだ。

 その前身は東洋工業サッカー部(のちに、マツダサッカークラブ)。1965年に発足した日本サッカーリーグ(JSL)では、初年度から4年連続で優勝。日本のトップリーグでの4連覇は、その後、どのチームも達成していない。GKの船本幸路やDF/MFの小城得達、FWの松本育夫、桑原楽之などは日本代表として東京五輪、メキシコ五輪で活躍した。

 いや、東洋工業の歴史はさらに遡ることができる。創立はなんと第2次世界大戦前の1938年というから驚きだ。日本のサッカー界は大学チームがリードしていた時代で、当時のトップリーグは関東、関西の両大学リーグだった。選手たちは大学を卒業すると引退してしまったり、実業団チームでプレーしながら全日本選手権大会(現在の天皇杯)には大学OBチームに加わって戦うことが多かった。

 そんななかで、東洋工業は実業団チームとして初めて全日本選手権に挑戦を始め、1954年には実業団チームとして初めて決勝進出を果たした(慶応義塾大学と再延長まで戦う死闘の末に敗退)。

 大学の時代から実業団の時代への移行のトップを走ったのが東洋工業であり、そして、実業団の時代からプロの時代への先頭を走ったのが、その後継チームであるサンフレッチェ広島だったのである。

 一方、鹿島アントラーズの前身である住友金属工業蹴球団は、JSLではほとんどの期間を2部で過ごしたので新興チームのように思えるかもしれないが、同好会として発足したのが1947年、正式なサッカー部に"昇格"したのが1956年というから、こちらも歴史の古い老舗実業団チームのひとつである。

 そうした歴史の古い「古豪」と、新興勢力の町田が優勝を争うJ1リーグの優勝争いに注目したい。

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著者プロフィール

  • 後藤健生

    後藤健生 (ごとう・たけお)

    1952年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了(国際政治)。1964年の東京五輪以来、サッカー観戦を続け、1974年西ドイツW杯以来ワールドカップはすべて現地観戦。カタール大会では29試合を観戦した。2022年12月に生涯観戦試合数は7000試合を超えた。主な著書に『日本サッカー史――日本代表の90年』(2007年、双葉社)、『国立競技場の100年――明治神宮外苑から見る日本の近代スポーツ』(2013年、ミネルヴァ書房)、『森保ジャパン 世界で勝つための条件―日本代表監督論』(2019年、NHK出版新書)など。

【写真】元NMB48&鹿島アントラーズサポ 磯佳奈江さんフォトギャラリー

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