社会人リーグからJの舞台に戻ってきた水野晃樹「サッカー選手って、年齢を重ねてもいくらでも成長できる」 (4ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

「今もそうですけど、僕はサッカーを観るのは好きじゃないので、海外サッカーの知識はほぼなかったんです。でも、ワールドユースで世界と日本との差を突きつけられ、海外でプレーする必要性を考えるようになった」

 だからこそ、2007年のシーズン後にセルティック(スコットランド)からオファーが届いた時には、瞬間的に答えを出した。当時は日本代表としての活躍がなければ、海外移籍が実現しなかった時代。水野はそれに当てはまらなかったことや、2008年には北京五輪を控えていたこともあり、周囲には9割方反対されたが、"その先"の未来を考えた。

「一切、迷わなかったです。移籍にはタイミングもあるし、五輪に出たからといって、また話がくる保証はない。それなら目の前にあるチャンスを掴みたいと思いました。将来、ワールドカップで活躍できる選手になるには、当たり前のように海外でプレーできなければいけないという思いもありました。オシムさんには『今より一段階どころか、2~3段階くらいステップアップをしなくちゃいけない難しい挑戦だぞ』と言われたし、簡単にいかないのは覚悟のうえでした」

(つづく)◆水野晃樹「まだまだ戦える」>>

水野晃樹(みずの・こうき)
1985年9月6日生まれ。静岡県出身。清水商高卒業後、ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド千葉)に入団。すぐに頭角を現して、チャンスメーカーとして活躍。2005年にはU-20日本代表に選出されてワールドユース選手権に出場。2007年には日本代表にも召集された。そして2008年1月、スコットランドの名門セルティックに移籍。2010年に帰国して柏レイソル入り。以降、ヴァンフォーレ甲府、ジェフ千葉、ベガルタ仙台、サガン鳥栖、ロアッソ熊本、SC相模原、はやぶさイレブンでプレー。2023年にいわてグルージャ盛岡に加入した。

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