社会人リーグからJの舞台に戻ってきた水野晃樹「サッカー選手って、年齢を重ねてもいくらでも成長できる」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 その決断は水野にとって、そのキャリアにおける最初のターニングポイントになる。イビチャ・オシム監督との出会いを含めて、だ。

「最初の印象はデカくて、強面(こわもて)な人だなって(笑)。でも、大滝監督も大きくて怖かったから雰囲気が似てるなって思いました」

 プロ1年目は月給9万円、「ベンチ入り3回でC契約選手に昇格」という約束での練習生契約。C契約を勝ち取るまでには半年間を要したが、右も左もわからずに飛び込んだ「真っ白な自分」だったからこそ、そのすべてを吸収することができた。

「最初は周りの選手のレベルの高さとか、判断、パス、アプローチのスピードに気圧されて、練習についていくのに必死でした。体の線も細く、当たり負けすることも多かったし、守備なんて全然できなかったけど、オシムさんはいつも、できることで勝負させようとしてくれる監督だったので。『晃樹に守備は求めていない。それなら1試合で必ずクロスボールを10本上げろ。そしたら、あとは仲間が助けてくれる』とよく言われました。

 当時はプロ1年目で、何を言われても一切の抵抗感もなかったし、『全部を吸収しなきゃ』『これをやらないとプロの世界では通用しないんだ』ってマインドになれたのもよかったんだと思います」

 もっとも目新しい練習も、オシム氏のサッカー観も、楽しむ余裕は一切なかった。

「練習が終わると頭も体も使いきった状態で、みんなが『マジで頭がパンパンだわ』って倒れ込んじゃうような感じだったんです。それに対して、僕はパンパンな感じはなかったけど、楽しめるほどの余裕もなく、ただただ素直に全部を受け入れていた感じでした。

 オシムさんとは練習中に呼ばれて話す程度で、ゆっくり会話をした記憶もない。何を言っても見透かされている気がして、自分から話に行くなんてとんでもなかった(笑)。ただ、『日本人は自己主張がない。言われたことしかしない。それはいいふうに捉えれば勤勉さだけど、悪く言えばアイデアがない』とおっしゃっていたのはよく覚えています」

 氏は当時、フィールド全面での3対3、1対1の練習を多く取り入れていたそうだが、特徴を前面に発揮しやすいそれらの練習が、水野の武器であるスピード、ドリブル、キックを際立たせることにつながったのは言うまでもなく、ひいてはチームの主軸選手への成長を促していく。自身とは対照的に加入時から注目を集め、常に自分の先を走っていた同世代の水本裕貴にも刺激を受けた。

 だが、そうした目覚ましい成長の陰で、「このままでいいのか」という疑問が頭をもたげ始めたのもこの時期だ。2005年には初めて世代別代表に選出されてワールドユース選手権(現U-20W杯)に出場。さらに、2007年にはオシム氏が監督に就任した日本代表にも選出されるなど、右肩上がりのキャリアを積み上げていた水野だったが、ワールドユースで一勝もできなかった経験は、時間が経つほど彼のなかで色濃くなっていく。

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