社会人リーグからJの舞台に戻ってきた水野晃樹「サッカー選手って、年齢を重ねてもいくらでも成長できる」 (2ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

 加入直後、はやぶさでの2年間で増えていた体重を一気に5キロ絞ったのも、その決意の表われだったのかもしれない。家族と離れ、単身で盛岡に乗り込むことにも、大きな覚悟を備えていた。

「はやぶさでの2年間はチーム練習以外のところで、体のケアや筋トレをする時間が現実的になかったというか。練習が終わったら少し休憩して仮眠を取らないと、夜のスクールで指導をする体力が持たないから、と自分の体にかける時間が極端に減って、体重も増えてしまった。

 ただ、決して恵まれているとは言えないグルージャの環境とうまく付き合いながらコンスタントに戦い続けるには、できる限りケガのリスクは減らさなくちゃいけないと思いました」

 日々の食卓に、栄養バランスの摂れた色とりどりのおかずが並ぶのもその決意から。自炊は以前から趣味のひとつだったらしく、「岩手にくる前から家族に料理を振る舞うことも多かった」という彼は、今も毎日のようにキッチンに立つ。

「時代に応じてサッカーもどんどん変化してきていることを思えば、サッカー選手って年齢を重ねてもマンネリ化することはなく、いくらでも成長できると思うんです。今の歳になったから気づけることもあるし、若い選手から得られることも多い。何より、僕はサッカーが好き。観ることではなく、プレーすることが、です。そのためには戦える体は不可欠だと思っています」

 今年で21年目を数えるキャリアは、2004年にジェフ千葉で始まった。静岡県の名門・清水商業高校を卒業するにあたっては、一旦は大学進学を選びかけたものの、筑波大学への推薦入試に落ちたことで"プロ"への思いが加速した。

「清水商の大滝雅良監督に、『今のままでプロに行っても2~3年で潰れてしまうから、大学でしっかり体を作ってからプロを目指せ』と言われて筑波大を受験したんです。でも当時は、大人の人と会話する機会なんてほぼなかったですからね。5人の面接官の前に立った瞬間、頭が真っ白になって質問に何も答えられずで......。落ちちゃったからと、清水商の先輩方が多く在籍している中京大学に願書を提出したんですけど、その直後にジェフから育成枠で選手を探していると声を掛けてもらいました」

 小学2年生の時にJリーグが開幕して以来、プロサッカー選手になることを目指してきた彼にとっては願ってもない話だった。

「清水商を選んだのも、当時、一番Jリーガーを輩出していた高校だったから。最短でプロの道に進めるチャンスがあるなら、絶対にそれを掴みたい、と思いました。

 大滝監督には当初、『今さら、中京大を断ったら、今後後輩たちが進学できなくなるかもしれない』と言われて揺らぎかけましたけど、最後は大滝監督にも『おまえの人生だから、自分で決めろ』と理解してもらい、一緒に中京大にお詫びに行ってもらって、ジェフへの加入が決まりました」

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