我那覇和樹ドーピング冤罪事件を忘れない 現在は高原直泰がCEOを務める沖縄SVでプレー (3ページ目)
我那覇は、自分以外にこんな思いをする選手をもう出してはいけないという気持ちから、スイスにあるCAS(スポーツ仲裁裁判所)への申し立てを決意する。Jリーグ側が国内の機関であるJSAA(日本スポーツ仲裁機構)での仲裁を拒んだために膨大な翻訳料を含む三千万円以上の費用が必要とされたが、島人(しまんちゅ)ストライカーは私財を投じてアスリートのために真実にたどり着く道を選んだ。
下された裁判結果は、Jリーグの判断を批判し制裁の取り消しを求めるものであった。それはCAS の歴史上、稀に見る一方的なもので、我那覇の全面勝訴と言えるものであった。WADA(世界アンチ・ドーピング機構)元倫理教育委員の近藤良享筑波大学教授(当時)は「世界の基準や判断を知らずに内部の判断で処分を決めたJリーグの失態が明らかになりました」とのコメントを出した。当然とも言える我那覇側の勝利によって、ドーピング規定の運用は正常化され、日本サッカー界すべてのカテゴリーの選手たちは救われた。
しかし、このCASの裁定を受けたJリーグ側はその結果を真摯に受け止めず、あえてグレーな印象が残るような操作に走った。それが、多くの人の我那覇に対する記憶の中で「ドーピング」「ニンニク注射」等々、いまだに事実がひとつもないワードが混在し続け、フェイクニュースが根絶されない大きな要因のひとつになっている。
鬼武健二チェアマン(当時)は「CASは、(我那覇が受けたのは)正当な医療行為か否かは判定していない」と会見で発言したのである。CASの英文判決を切り取って翻訳の解釈の問題にすり替えたのである。そもそもCASが我那覇にドーピングの可能性を微塵でも見出していれば、制裁の取り消しを求めてはいない。制裁を課す論拠が消えたのである。しかし、鬼武チェアマンは、川崎に課した1000万円の制裁金を返還せずにこれをドーピングの啓蒙活動に当てると発表する。この報道があたかも我那覇はグレーだったのではないかという印象を周囲に与えた。
Jリーグの三ツ谷洋子参与は当時、このCASの判決を受けて「制裁金は川崎に返すべきだ」と発言している。しかし、Jリーグ理事会では、理事たちが「制裁金を返さないと(世論に)思われないようにすること」を議論の焦点にし、"CASの文書はドーピングだったかどうかというところまで踏み込んでいないということを言ってくれる弁護士事務所を探し出す作業"に腐心していたという。
三ツ谷参与の発信によって当時のJリーグが、ひとりの選手の人生を狂わせた冤罪に向き合おうとせず、組織の体裁を整える保身作業に没頭していたことが分かった。。この冤罪事件の全貌を記した『争うは本意ならねど(集英社インターナショナル)』を執筆した際、最後に鬼武チェアマンに真意を問いに伺った。取材に対応して頂いたことは今でも感謝しているが、WADA規定をまったくご存じなかった。驚いたのは、「点滴の器具を持っていただけで入国できなかった事実もあるんです」と言われたことだ。そんな規定も事例も存在しない。ケガをした選手をチームドクターはどうやって治療するのか。当時のJリーグの最高権力者はこの程度の認識だったのである。
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