我那覇和樹ドーピング冤罪事件を忘れない 現在は高原直泰がCEOを務める沖縄SVでプレー (2ページ目)

  • 木村元彦●取材・文 text by Kimura Yukihiko

 その宮地が顔を曇らせて言ったことがある。「僕は『それは事実と違いますよ』って、すぐに否定したんですけど、何気なく『我那覇さんってニンニク注射を打った人ですよね』と言った人がいたんです」2021年のことである。そして今年、那覇で「我那覇選手は風邪薬を飲んでそれがドーピング検査に引っかかってしまったと思っていました」という女性がいた。信頼している関係者だったので、ショックは小さくなかった。

 私は我那覇がチームを変わる度にその近況と背景を記事にすることを自分に課している。いまだに2007年に起きたドーピング冤罪事件について流言が滅することなく飛び交っているからである。過去、彼の移籍先のクラブの広報でさえ、何も知らなかった。我那覇はニンニク注射など打っていない。風邪薬も飲んでいない。デマは一度、飛びかってしまうと大きく広がり、17年が経過した今も流通し、真実を凌駕し本人を苦しめ続ける。否定するのは、多くの労力が必要とされる。何度も繰り返し書いてきた事実を今、またここに記す。
 
 2006年、オシムジャパン元年、我那覇は沖縄出身選手として初の日本代表に選出され、11月のサウジアラビア戦では2つのゴールを決めていた。類まれな決定力を持つFWの出現にサポーターは沸き立ち、翌年は代表定着と、夢であった海外でのプレーが実現するかと思われていた。事件は、その勇躍すべき2007年4月に起こった。脱水と発熱の症状に苦しんでいた我那覇は、練習後にクラブの診療所でチームドクターから感冒との診断を下され、点滴治療を受けた。体内に入れたのはビタミンB1が含まれた生理食塩水であり、極めて正当な医療行為であった。しかし、これを直接取材していないサンケイスポーツの記者が、翌日の紙面に「我那覇 ニンニク注射でパワー全開」と記事にしたのである。いわゆる飛ばし記事であり、明らかな誤報であった。ところが、この報道を見たJリーグのドーピングコントロール委員会(青木治人委員長)が、我那覇はドーピング(禁止薬物使用)規定違反であるとマスコミに発信してしまったのである。
 
 調査をすれば産経の誤報が即座に露見し、記者を叱ってそれで終わった案件であった。ところが、ここからメンツにこだわるJリーグが暴走していく。ペナルティ有りきで開かれた聴聞会では、反論に耳を傾けず、我那覇に6試合の出場停止処分、所属の川崎には管理責任として1000万円の制裁金が課せられた。これに対し、Jリーグクラブのすべてのチームドクターが、正当な医療行為であったことを主張して何度も正しいドーピング規定を書面で突き付けて声をあげた。選手の健康を担う医師らにすれば、到底看過できないジャッジであった。しかし、Jリーグ側は一度下した規定違反の裁定を覆すことなく、その都度詭弁を弄して仲裁を拒み続けたのである。
 
 まったくの冤罪であるにも関わらず、ペナルティを科せられた我那覇はこの間、サッカーに集中しようと沈黙を貫いていたが、一枚の手紙で立ち上がることを決意する。「この間違った前例が残ると今後のすべてのスポーツ選手が適切な点滴医療を受ける際に常にドーピング違反に後で問われるかもしれないという恐怖にさらされます」。差出人は当時浦和レッズのチームドクターであった仁賀定雄医師であった。事実、Jリーグのドーピングコントロールの誤った運用を正当化するために現場の医師による静脈注射が禁止されたために、何人もの選手が治療を待たされて危険な状態に陥っていた。詳細はここには書かないが、小学生世代の選手までが潜在的なドーピング規定違反者にされていたのである。

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