ガンバひと筋だった藤春廣輝がJ3のFC琉球へ「とにかくサッカーをしたい。カテゴリーはまったく気にならなかった」 (3ページ目)

  • 高村美砂●取材・文 text&photo by Takamura Misa

【土地勘がないなか携帯電話だけが頼りだった】

 自身のキャリアにおいては初めての移籍ということもあって、当初はチームへの適応以上に、生活そのものに慣れるのに時間を要した。ガンバ時代もオフシーズンに海外に出掛けたことは一度もなく、国内旅行をするのもほとんどが「車で移動できる範囲」だっただけになおさらだろう。しかも、一人旅をしたこともない彼にとってはすべてが"初めて"で、苦労の連続だった。

「AFCチャンピオンズリーグ(ACL)やキャンプで海外に行ったこともあるし、飛行機にも何度も乗っているんですよ。でも、チケットの手配などは全部チームスタッフがやってくれていたし、自分はクラブハウスからのチームバスにさえ乗れば、現地に着くという感じでしたから。

 実は、ひとりで飛行機に乗るのは人生初だったので、航空券の買い方すらわからず、ガンバ時代もチームメイトだった陽斗に電話して教えてもらいました。移動当日、伊丹空港に着いてからも『そういや、チケットレスでどうやって飛行機に乗れるの?』と(笑)。

 荷物の預け方もわからず、結局、空港職員の方に尋ねて、搭乗までつき添ってもらった。そうなることを予想して、めちゃめちゃ早くに伊丹空港に到着していたからよかったけど、いまだかつてない緊張感で飛行機に乗り込みました」

 沖縄に入ったのは、新体制会見が行なわれる前日。大きなトランクふたつに、詰められるだけの荷物をパンパンに詰めて沖縄に向かったものの、いざ到着してみると「全然、足りひんかった」と苦笑い。

 下見をすることなく、間取り図だけを見て決めたという家には「不動産屋さんがポストに入れておいてくれた鍵で、ここでいいのかと恐る恐る入った」そうだ。そうして、料理はおろか、洗濯機すら回したことがない藤春の沖縄での生活が始まった。

「大阪にいるときは、一緒に住んでいた弟が家事全般を受け持ってくれていたので、ほんまに家では何もしていなかったんです。だから、洗濯機の使い方を含め、わからないことだらけでその都度、弟に電話していました。

 最初のカルチャーショックは洗濯物を外に干しても乾かなかったこと。沖縄って暑いのになんで? と思っていたら、住んでみてわかったんですけど、時折豪雨に見舞われるせいで湿気がひどいんです。だから、どの家庭にも必ず乾燥機があるらしい。

 でも、そんな下調べもしていないから、うちにはなくて。こっちでは練習着やタオル類も自分で洗濯しなくちゃいけないのに、それが全然乾かなくて大変でした(笑)。そういえば、初日の練習ではそのタオルを忘れて焦りました。ガンバ時代の癖で、手ぶらで練習場に行ってシャワーを浴びたら『タオルがない!』と(笑)。ずぶ濡れで立っていたらチームメイトが貸してくれました」

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