鹿島初の欧州出身選手・チャヴリッチはなぜ日本へ「確信があった。それはもはや愛」 (4ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke

【サッカーは数字だけに表われないスポーツ】

── 開幕戦でゴールを決めたことで、多少はプレッシャーからも解放されたのではないですか?

「シーズンが開幕する前は、自分の力を示したい、自分の能力を発揮したいと、自分で自分にもプレッシャーをかけていましたからね。そのプレッシャーがまた、開幕戦での結果にもつながったように思います」

── キャリアについても聞かせてください。選手として自信を掴んだのは、どの時期だったのでしょうか?

「ベルギーのKRCゲンクでプレーしたときですかね」

── プロとしてのキャリアをスタートさせたFKバナト・ズレニャニンやOFKベオグラードでプレーしたセルビア時代ではなく?

「もちろん、セルビアでも自信は得ました。たとえばゴールを決めたり、アシストをしたりすれば、選手として自信がつき、監督やサポーターからも信頼を得られたと思っています。

 自信を持ってピッチに入るのと、不安なままピッチに立つのとでは、少なくとも半分以上はプレーに違いが出ると思っています。それくらい自信とは大きくパフォーマンスに影響を及ぼすものだと思っています」

── 記録だけを見ると、KRCゲンクには1シーズンのみの在籍で、16試合に出場して無得点だっただけに、そこで自信を得たという発言に驚きました。

「KRCゲンクに移籍したときは、自分もまだ年齢的に若く、当時もっとも多くチームで得点を決めていた選手と入れ替わるようにして加入した状況でした。そういう意味で、自分にかかる期待やプレッシャーも大きかった。ストライカーとしてゴールを決められなければ交代させられる機会も多く、苦しんだ時期もありました。

 たしかに数字だけを見れば、大きな結果や満足のいく成績は残せていませんが、サッカーは数字だけに表われないスポーツ。ベルギーでは日々の練習で自信を深めることができ、試合でゴールを決められなくても、アシストができなくても、自信を持ってプレーすることができるようになりました。

 だから、その時期に得られた経験は、今の自分を形成するのに大きな財産になっています」

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