鹿島初の欧州出身選手・チャヴリッチはなぜ日本へ「確信があった。それはもはや愛」 (2ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke

【鹿島への移籍はキャリアの通過点ではない】

── 8年間を過ごしたSKスロヴァン・ブラチスラヴァ(スロバキア)から鹿島に加入しました。なぜ、鹿島だったのでしょうか?

「なぜ、何でしょうね(笑)。なかなか言葉では説明できない感情や感覚があります。ひとつ言えることがあるとすれば、自分のなかに目に見えない"確信"がありました。

 もともと日本の文化や食事に関心があったことは事実ですが、それが移籍の決め手になったかというと、決してそうじゃない。8年という年月を過ごしたクラブを離れるのは、決して簡単なことではありませんでしたが、アントラーズからのオファーが届いたときに『自分はここに来る』という確信めいたものがありました。

 本当に言葉では言い表わせない感情なので、自分にとって、それはもはや『愛』なのではないかと思っています。それくらいアントラーズの一員になることに、自分のなかの"何か"を見出したと思っています」

── SKスロヴァン・ブラチスラヴァもかなり引き留めていたと聞きました。

「そうですね。クラブ史上、類を見ないほどの契約内容を提示してくれました。アントラーズとの話が進み、日本に向かうときも、『飛行機のなかで気持ちが変わるかもしれないから』と再提示してくれるくらい、引き留めてくれました。

 ただ、個人的には長く在籍していたため、クラブ全体と良好な関係を築いていた一方で、どこかで自分が守りに入ってしまっているような感覚も抱いていました。安定を選んでしまうと、人の成長はそこで止まってしまいます。自分がさらに成長するために、あえて居心地のいい場所から離れ、もう一度、勝負する時期なのではないかとも思っていました」

── 環境を変えることが自身の成長につながると考えたことも、決め手のひとつだったんですね。これまでにも国をまたぐ移籍を経験していますが、新天地に日本を選ぶというのは大きな変化だったのではないでしょうか?

「過去にはベルギーからデンマーク、デンマークからスロバキアと、ヨーロッパ内での移籍を経験したことはありますが、ヨーロッパとアジアでは、自分にとって別世界。変化という意味では、今回の移籍は過去とは比べられないくらいの違いがあると思っています。

 また、なぜ自分がアントラーズへの移籍を決めたかに触れると、自分はここをキャリアの通過点にするつもりで来たわけではありません。自分はアントラーズで何かを勝ち獲るために、ここに来ました。それはみなさんに伝えられたらと思っています」

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