セレッソ大阪一筋15年 GKキム・ジンヒョンが日本語習得で最初に戸惑った関西弁は? (3ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho

【日本に来て感じたプレー面の壁】

 結果的に、エージェントの後押しから飛び込むことになったJリーグの世界。

 そこで感じたのは、言葉の壁だけではなかった。まさに10代の頃に感じた日本の「細かくて多彩」な点が、自分の身にも降りかかることになった。

「僕、GKの位置からパスをしたことがなかったんです...」

 GKというポジションにあって、韓国では「遠くにボールを蹴ること」が求められていた。

「韓国はスピードに重点を置いたサッカーだったので、一気に前に行こうと。でも、日本ではパスを求められた。すると強さや弱さのコントロールが必要になるので、それが本当に難しかったんです。韓国で築いてきたサッカー観が大きく変わった瞬間ですね。精密な技術が必要だと気づきました」

 2009年、Jリーグデビューを果たした頃のことだ。日本文化への適応が必要だったが、キム・ジンヒョンはこうやって解決していった。

「加入後、すぐに試合に出ることになり『じっくり克服しよう』というのが許されない立場でした。緊張感のなかでどうにか克服しなければならないという...。

 その時に思ったのが『とにかく無心にやり続けること』。すると自然と自信がついてきたんです。とにかくポジションを失わないように、トレーニングと試合を繰り返していけば、自然に克服できるのではないか。そう考えるようになりました」

 実践、実践、実践。理論よりも実践。そういった時間をただひたすらに過ごしていったのだった。

 ちなみに多くの韓国人Jリーガーたちが当惑してきた「先輩・後輩の関係」については、キム・ジンヒョンには「後輩から先輩のベクトル」はそんなに日韓の違いがあるように感じられなかった。ただし「先輩から後輩」はちょっと違った。

「最近では、韓国でも後輩が先輩をイジったりというのはあるんです。日本も似てますよね。でも先輩が後輩に接する態度が少し違ったように感じました」

 韓国ではいったん後輩が「ヒョン(兄貴)」と呼ぶようになれば、先輩は徹底的に面倒を見る。度々食事に誘い、ふだんから「どうしてる?」とスマホにメッセージを送り様子を気にかける。そういった濃厚な関係性が、日本には薄いのかな、とも感じたりした。

後編「キム・ジンヒョンが振り返るセレッソ大阪での15年」につづく>>

キム・ジンヒョン 
金鎭鉉/1987年7月6日生まれ。韓国京畿水原市出身。東国大学から2008年に練習生を経てセレッソ大阪に加入。翌2009年シーズンから今年で15年間、セレッソでプレーし続けているレジェンドGK。外国籍選手としてJリーグの単一クラブ最長在籍記録、J1通算最多出場記録(376試合/2023シーズン終了時)を更新中。韓国代表には2011年から招集されていて、2018年ロシアW杯のメンバー。

著者プロフィール

  • 吉崎エイジーニョ

    吉崎エイジーニョ (よしざき・えいじーにょ)

    ライター。大阪外国語大学(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。サッカー専門誌で13年間韓国サッカーニュースコラムを連載。その他、韓国語にて韓国媒体での連載歴も。2005年には雑誌連載の体当たり取材によりドイツ10部リーグに1シーズン在籍。13試合出場1ゴールを記録した。著書に当時の経験を「儒教・仏教文化圏とキリスト教文化圏のサッカー観の違い」という切り口で記した「メッシと滅私」(集英社新書)など。北九州市出身。本名は吉崎英治。

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