セレッソ大阪一筋15年 GKキム・ジンヒョンが日本語習得で最初に戸惑った関西弁は?
韓国人Jリーガーインタビュー
キム・ジンヒョン(セレッソ大阪) 前編
Jリーグ30年の歴史のなかで、これまで多くの韓国人選手がプレーしてきた。彼らはどのようなきっかけで来日し、日本のサッカー、日本での生活をどう感じているのか。今回はセレッソ大阪で何と15シーズンもプレーし、外国籍選手としてJリーグの単一クラブ最長在籍記録、J1通算最多出場記録を更新中のGKキム・ジンヒョンに話を聞いた。
後編「キム・ジンヒョンが振り返るセレッソ大阪での15年」>>
【初めてピッチで使った日本語は「寄せろ」】
ヨセロ。
韓国語じゃない。日本語の「寄せろ」。
キム・ジンヒョンははっきりとその単語を覚えている。味方DFに「相手に近づいて(体を寄せて)シュートを打たせるな」という意味だ。
セレッソ大阪で15年。GKキム・ジンヒョンにインタビュー photo by Ushijima Hisatoこの記事に関連する写真を見る 韓国の大学卒業後、2009年からセレッソ大阪一筋でプレーしてはや15年。Jリーグの外国籍選手の単一クラブ最長在籍記録、そして外国籍選手としてのJ1通算最多出場記録も有する。
そして、いまや歴代コリアンJリーガーのなかでも有数の日本語の使い手でもある。時に「あら? 日本育ちだった?」と錯覚することもあるほどだ。
そんなジンヒョンが、なぜこの単語を覚えているかと言うと――。
"初めてピッチで使った日本語"だからだ。2009年シーズン開幕前にトレーニングマッチを重ねていた頃だった。
理由は「必死だったから」。
「最初は練習生として日本に来たんですよ。2008年、大学3年生の頃でした。練習生どころか、エージェントの勧めで(Kリーグで当時行なわれていた)ドラフトの前に『ちょっと日本で練習してくるか?』と言われ、数日間の日程で行ったんです」
そこで192cmの長身GKはプレーを認められた。韓国でのドラフト申請を撤廃し、Jリーグ行きに急転換。当時J2リーグの開幕に臨んだチームにあって、いきなり出場機会を得たのだった。
「日本語もまだよくわかっていない状況でした。でもとにかく、僕は失点を防がなくてはならなかったんです。必死でした。キャンプ中のホテルで同室だった石神さん(石神直哉)になんとか聞きました。
『相手FWにシュートを打たせないための味方DFへの指示は、日本語でなんと言えばいいか?』という内容を。その答えが『寄せろ』でした。FWとの間合いを詰めて、シュートを打たせるな、と」
日本語は、自分なりに本を読んで勉強しているつもりだった。でもそこは大阪の地、その学習法には決定的な「欠陥」があった。
「本には『本当ですか?』と書いてあるのに、実際には『ホンマに』と言っていて...」
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著者プロフィール
吉崎エイジーニョ (よしざき・えいじーにょ)
ライター。大阪外国語大学(現阪大外国語学部)朝鮮語科卒。サッカー専門誌で13年間韓国サッカーニュースコラムを連載。その他、韓国語にて韓国媒体での連載歴も。2005年には雑誌連載の体当たり取材によりドイツ10部リーグに1シーズン在籍。13試合出場1ゴールを記録した。著書に当時の経験を「儒教・仏教文化圏とキリスト教文化圏のサッカー観の違い」という切り口で記した「メッシと滅私」(集英社新書)など。北九州市出身。本名は吉崎英治。