中村俊輔が「一番嫌なシューター」だった 引退したGK南雄太がウザいと思った理由とは (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【激変したGKを巡る環境】

 南自身、駆け引きに"勝ち筋"を見出したGKだった。圧倒的な高さやスピードがあるわけではなかったからこそ、味方と連係しながら、総合的に守る術を追求した。

「楢さんと代表でやって、"うめーや、絶対に(追い抜くのは)無理"と思ってしまったほどです」

 南はそう言って、少しだけ唇をかんだ。

「でも、今なら思うんです。"絶対なんて絶対にない"というのがサッカーの世界だって。たとえ実力があっても外されてしまう選手がいるし、そんな力があるように見えなかったのに、ひとつのきっかけで信じられないほど伸びる選手もいる。そのことに、もっと早く気づくことができていればな、とも思いますね」

 南は少年時代を含めたら30年以上、GKというポジションで生きてきた。その概念も変わったと言う。そもそも少年時代は「GKへのバックパスあり(味方のバックパスを手で処理してよかった)」の時代に育った。また、育成年代にはほとんどGK コーチがいなかったという。今は環境も変わって芝生のグラウンドが増え、ハーフの選手が増えて体格も大型化し、優秀なGKの裾野が広がっているという。

「これから、日本人GKのレベルはどんどん上がっていくはずですよ。"止める・蹴る"のレベルも上がりました。昔はプロになっても明らかに厳しいGKがいましたが、最近はそういうのはなくなりましたね」

 南はそう言って、ひとつの提言をした。

「Jリーグには、若い日本人GKで素質のある選手が多くいます。ただ、試合に出られないと難しい。クラブが外国人GKを獲得するのは悪いとは言わないですが、若い日本人GKにしっかりとチャンスが与えられる環境は作っていくべきだと思いますね。試合に出ることで、想像以上に伸びるGKもいるはずだから」

 そこに日本人GKとしての矜持と後輩GKへの慈愛が滲んだ。
 
 それでは、誰よりも多くのシュートを浴びてきた男は、アタッカーで誰が一番印象に残っているのか。

「すばらしいアタッカーはたくさんいましたよ。柏では(バルセロナで欧州王者に輝いたフリスト・)ストイチコフのシュートがすごかったです。対戦相手ではエメ(エメルソン/浦和、札幌、フラメンゴなど)とか、フッキ(川崎、札幌、東京V、ポルトなど)とか」

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